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中銀デジタル通貨を巡る国際的な議論を主導する

米連邦準備制度理事会(FRB)は20日に、米国の中銀デジタル通貨(CBDC)、いわゆる「デジタルドル」について、そのメリットやリスクについての見解をまとめた報告書を、今夏に公表すると発表した。

これは、FRBが中銀デジタル通貨の発行に向けて動き出したことを意味するものではない。しかし、従来、中銀デジタル通貨の発行に慎重な発言を繰り返してきたFRBの姿勢が多少なりとも変わったことを裏付けるもの、と言えるのではないか。

報告書に関連してパウエル議長は、中銀デジタル通貨の設計では、「消費者やプライバシーの保護の問題などを考慮する必要がある」、「慎重な検討と分析が必要になる」などと慎重な言い回しをし、同報告書はあくまで「慎重な検討プロセスの始まり」と説明している。

しかし他方で、「我々が最終的にどのような結論を出すにせよ、中銀デジタル通貨を巡る国際的な標準の策定にあたり、主導的な役割を果たすつもりだ」として、中銀デジタル通貨を巡る国際的な議論で、米国がリーダーシップをとる考えを述べている。このあたりが、報告書を発行する最大の狙いであるかもしれない。

FRBは、国際決済銀行(BIS)と7つの中央銀行による中銀デジタル通貨の共同研究グループに遅れながらも参加している。この点から、中銀デジタル通貨を巡る国際的な議論に積極的に関わる姿勢は、従来から見られていた。

このグループは、昨年10月に調査・研究結果をまとめた報告書を公表している。これと同時に日本銀行が、その1週間前には欧州中央銀行(ECB)が、グループ内の議論を反映したそれぞれ中銀デジタル通貨に関する報告書を公表した。FRBの今回の報告書も、同様の内容となるのではないか。その場合、あまり目新しさはないだろう。

政権交代が米国での中銀デジタル通貨を巡る議論に影響

2019年12月の議会証言で当時のムニューシン財務長官は、「今後5年間に米国が中銀デジタル通貨を発行する必要はないとの認識で、FRBと一致している」と言い切っていた。ただし、当時から、米財務省とFRBとの間には温度差があったとみられる。

中銀デジタル通貨の発行について、FRBの慎重な姿勢が変わったように見える背景には、米国の政権交代の影響があったのではないか。つまり、財務省の否定的な姿勢が弱まった可能性がある。現在のイエレン財務長官は、「決済手段や銀行口座を持たない人に、デジタルドルは役立つ」と評価している。

ただし、政権交代によって、中銀デジタル通貨の発行についての米財務省の姿勢がどの程度変わったかについては、この先まだ慎重に見極めていく必要があるだろう。

米財務省が「デジタルドル」の発行に慎重な理由

そもそも、米財務省が中銀デジタル通貨「デジタルドル」の発行に慎重なのは、デジタルドルの発行が米国の金融覇権を自らの手で崩してしまう可能性があるからだ。

米国は国際銀行間通信協会(SWIFT)や米銀の国際的なネットワークを通じて、世界の資金の流れに関する情報を独占し、また、テロ国に対する経済制裁などを実施している。こうした金融面での覇権が、米国の安全保障面での国際戦略も支えているのである。

しかし、米国がデジタルドルを発行し、それが国際送金に用いられる場合には、現在の銀行間国際送金とは別のチャネルとなるため、米国の覇権、絶対的優位は揺らいでしまう可能性が高いだろう。

また、デジタルドルを発行すれば、海外でのドル保有がさらに拡大することになるだろう。米財務省はこれも望んでおらず、現状がベストと考えているだろう。

「デジタルドル」の発行がゲームチェンジャーに

しかし、中国がデジタル人民元を来年にも発行し、それが、人民元の国際化を後押しすれば、それが、米国の通貨・金融覇権を揺るがしてしまうことを、米当局は強く警戒し始めている。

パウエル議長は、中銀デジタル通貨の発行で中国の先行を許すことは問題ではなく、仮に米国も中銀デジタル通貨を発行するのであれば、スピードでなく安全性など質に十分配慮することが重要、と繰り返している。しかし、本音の部分では、デジタル人民元の発行を強く警戒しており、それが今回の報告書につながっている面があるのではないか。

日本銀行も、中銀デジタル通貨の発行については、FRBと同程度の慎重さであるかもしれない。しかし日本では、デジタル人民元の発行計画を契機に、与党・政府が中銀デジタル通貨の発行に前向きな姿勢を強めており、日本銀行に強い圧力をかけている。日本銀行に最終決定権はないことから、中銀デジタル通貨の発行については、外堀を埋められ始めた感もある。その分、米国と比べて日本の方が、中銀デジタル通貨の発行に近いと言えるだろう。

FRBが仮に中銀デジタル通貨、いわゆるデジタルドルの発行に前向きに転じる場合には、それは世界の中銀デジタル通貨の発行に向けた動きを一気に加速させる、いわばゲームチェンジャーとなることは疑いがない。その場合、日本でも中銀デジタル通貨の発行に向けた動きが、にわかに強まるはずだ。

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。