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グリーン社会の実現などに菅政権の独自色

政府は、5月25日に開かれた経済財政諮問会議で、来年度の予算編成に向けた経済財政運営の指針「経済財政運営と改革の基本方針2021」、いわゆる骨太の方針の骨子案を示し議論をした。6月中の閣議決定が目指されている。

前政権の下で作成された昨年の骨太の方針には、「危機の克服、そして新しい未来」との副題がつけられ、新型コロナウイルス問題という危機への対応を進める中で、ポストコロナの「新たな日常」、新しい成長につなげていく、とのコンセプトが示された。今回の骨太の方針も、基本的にはそれを踏襲したものとなっている。

柱となる第2章の「次なる時代をリードする新たな成長の源泉~4つの原動力と基盤づくり~」では、①グリーン社会の実現、②官民挙げたデジタル化の加速、③日本経済を元気にする活力ある地方創り(新たな地方創生の展開)、④子どもを産み育てやすい社会の実現、の4つの原動力が示されている。

②デジタル化と③地方創生については、昨年の骨太の方針でも強調されていたが、①グリーン社会の実現と④子どもを産み育てやすい社会の実現には、菅政権の独自色が表れている。

カーボンプライシング活用を明記へ

このうち①グリーン社会の実現には、菅政権が掲げた2050年カーボンニュートラル、2030年度CO2排出量46%削減、という目標を実現するための施策が盛り込まれる。排出量削減の鍵を握る2030年度の電源構成目標では、再生可能エネルギーの比率を現状の22~24%から36~38%にする方向で議論が進んでいる。他方、原子力の比率は20~22%で据え置きされる見通しだ。自民党内では新増設を含め原発の積極活用の意見が強まっている。他方、経済産業省の有識者会議で賛否の意見が割れている状況だ。

また骨子案には、「成長に資するカーボンプライシングの活用」が盛り込まれた。カーボンプライシングとは、CO2に価格付けをし、企業に課金して排出削減を促す制度だ。企業の大きな負担となれば経済成長を阻害してしまう可能性も生じ得ることから、そうならないように配慮する、という意味が「成長に資する」という言葉に込められているのだろう。脱炭素化を急速に進めるには、強力な政策の後押しが必要となる。カーボンプライシングはその一つとして、その効果が期待される。

また④子どもを産み育てやすい社会の実現は、菅義偉首相が意欲を示す「こども庁」の創設が焦点となる。これは菅政権が意欲を見せている「こども庁」設置を意識した、菅政権の目玉政策の一つとなる。

最低賃金引上げは地方経済の活性化に役立つのか

他方、③日本経済を元気にする活力ある地方創り(新たな地方創生の展開)では、「賃上げを通じた経済の底上げ」が盛り込まれている。これは最低賃金の引き上げによる雇用者所得の増加、地方企業の賃上げを通じた都市部からの人材確保、などが意図されているのだろう。

菅首相は、3月の諮問会議で最低賃金を「より早期に全国平均で千円にする」と発言するなど、現在の全国平均902円を早期に千円にする方針を繰り返し表明している。

しかし地方経済活性化の手段としての最低賃金引き上げについては、慎重に判断する必要があるのではないか。人件費の上昇は地方経済を支える中小・零細企業の経営を圧迫し、雇用の調整につながる可能性もあるからだ。

昨年までは、年間+3%程度のペースで最低賃金の引き上げが進められていた。しかし、コロナショックで経済が悪化した昨年は、引き上げは見送られている。それは、最低賃金引き上げが企業経営、雇用、経済に悪影響があると政府が認識していたからに他ならない。今年最低賃金を大幅に引き上げても、同様の悪影響が生じるリスクが小さくないことは変わらないだろう。

生産性が高まる中、それに見合ったペースで賃金が上がっていき、最低賃金も引き上げられる環境を作り出すことを政府は目指すべきだ。政策の重点は、あくまでも「経済全体の生産性を高めること」に置かれるべきではないか。

財政健全化でより具体策の議論を

コロナ問題の影響から、昨年の骨太の方針では、柱であるべきはずの財政健全化の議論がほぼ抜け落ちた。今年は、財政の健全化を示す基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化目標が2年ぶりに明記される方向である。これは、評価できる点だ。

しかし、コロナショック前からの2025年度の黒字化達成時期の目標が、そのまま踏襲されるのでないか。コロナショックを受けて、その目標はおよそ実現可能性のないものとなってしまっている。それを踏襲するということは、財政健全化の取り組みを一時棚上げすることに近いようにも思われる。

いずれは、黒字化達成時期の目標は2030年度などに先送りされる可能性が高いだろう。しかし、現時点で達成時期の目標の修正を行えば、それを実現するための新たな政策を具体的に提示することが求められる。今年の骨太の方針ではそれを避け、既に完全に形骸化した2025年度を踏襲する形となるのではないか。

政府は、黒字化達成の時期の修正と新たな財政健全化に向けた施策の提示は、新型コロナウイルス感染問題に収束の方向性が見え、感染対策に関わるコストの全体像が見えてから始める考えなのではないか。

しかし、国債発行でコロナ対策のコストを賄うことは、次世代への負担の転嫁でもあり、長く続けるべきではないだろう。また財政環境の悪化は、ポストコロナの成長力にマイナスに働く可能性もある。

菅首相は、「プライマリーバランス(基礎的財政収支)黒字化などの財政健全化の旗を降ろさず、歳出改革努力を続けていく」と発言している。財政健全化の取り組みを維持する方針を示しているが、歳出抑制だけでコロナ対策のコストを賄うことは到底無理である。増収策を含めた財源確保の議論を、すぐに始めるべきではないか。

 

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。