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日韓首脳会談は実現せず

先日、英国で開かれたG7サミット(先進7か国首脳会議)では、菅首相と文韓国大統領は挨拶を交わしたものの、初の首脳会談には至らなかった。菅首相は昨年9月の就任以来、最も近い隣国韓国との首脳会談を行っていない。

初の首脳会談に韓国側は前向きであったが、「韓国が毎年行っている竹島領土守護訓練を理由に、日本側が会談に応じなかった」と韓国メディアは報じている。日本政府はそれを否定している。他方で菅首相は、「元慰安婦と元徴用工の訴訟をめぐる韓国側の具体的対応が会談の前提」との考えを明言している。

さらに、従来から韓国政府は、東京オリンピック・パラリンピックを日韓関係改善のきっかけにしたいと考えてきた。文大統領が東京五輪の開会式に出席し、さらに菅首相と日本で会談する意向をG7サミットで菅首相に伝えようとしたが、G7サミットでの首脳会談が実現しなかったことで不発に終わった、と韓国メディアは報じている。

元慰安婦と元徴用工の裁判所の判断に大きな振れ

両国関係悪化の底流にある元慰安婦と元徴用工の訴訟では、裁判所の判決結果に振れが目立ってきている。6月7日に韓国の元徴用工や遺族が日本企業計16社を相手取り損害賠償を求めた訴訟で、ソウル中央地裁は原告の訴えを却下した。2018年には大法院(最高裁)が、日本企業に賠償を命じていた。

日本は、元徴用工らの裁判に関して、1965年の日韓請求権協定で解決済み、という立場だ。大法院は、日本の植民地支配は不当で、元徴用工の請求権は日韓協定の対象外、との判断を下した。これに対して今回のソウル中央地裁は、韓国国民が日本や日本国民を相手にした個人請求権の行使は制限される、と判断したのである。

日本政府に賠償を命じた韓国人元慰安婦訴訟の判決を巡っては、ソウル中央地裁は今年1月に、旧日本軍の元従軍慰安婦の女性らへの賠償を日本政府に命じた。しかし3月にソウル中央地裁は、「(強制執行は)国際法違反の恐れがある」と指摘し、一転して訴訟費用を日本に求めないとする決定を示したのである。

このように、判決結果に大きな振れが生じる背景には、判事の独自の判断が反映されやすい、という韓国の裁判所の特徴があるだろう。他方で、政権の意向の変化が反映されている、との指摘もある。

文大統領は2018年、元慰安婦問題の解決を確認した2015年の日韓合意を事実上破棄した。また元徴用工訴訟の問題についても、「司法判断を尊重する」とした。これをきっかけに、日韓関係は戦後最悪とされるレベルまで冷え込んだのである。

しかし文大統領は年明け後には、その反日的な姿勢を修正し、日本との関係改善に期待した発言も目立つようになってきた。元徴用工訴訟に関して文大統領は、「(日本企業の資産が)強制執行で現金化されるのは日韓関係にとって望ましくない」と述べたのである。しかし、文大統領が具体的な対応を見せていないことから、日本側の姿勢には変化はない。

日本の輸出規制への対応は進んだか

日韓関係の悪化を背景に、日本政府は2019年7月に、半導体やディスプレイに使用される必須素材3品目の韓国への輸出に関する規制強化を実施した。この措置を受けて韓国は、それらの品目について、他国からの調達や国産化に取り組み始めたのである。

必須素材3品目とは、フッ化水素、フッ化ポリイミド、レジストの3つで、いずれも半導体製造に欠かせない素材だ。このうち、フッ化水素については、日本製よりも純度が劣るものも含めれば、韓国での国産化や他国への代替が相応に進んでいると言えるようだ。

しかし、フッ化ポリイミド、レジストについては、国産化や他国への代替が十分に進んだとはいえず、依然として日本への依存度は高い状況だ。こうしたもとでは、日本の輸出規制によって韓国の経済活動は制約を受け続けており、その解消を目指すことが、文大統領の反日姿勢の変化の一つの要因であると考えられる。

現在、米国が主導する形で、先進国内での半導体のサプライチェーンを強化し、中国離れを進めようとしている。そうした中、輸出規制措置によって日韓間で半導体のサプライチェーン体制に制約が生じてしまっていることについては、米国のバイデン政権も問題視していることだろう。バイデン政権は、輸出規制の解除を密かに日本側に求めているのではないか。

バイデン政権は対中・北朝鮮政策への悪影響を懸念か

さらに、日韓関係が悪化していることは、バイデン政権が思い描くような、同盟国が結束した形での対中・北朝鮮政策の構想には大きな逆風である。そのためバイデン政権は、文大統領に対して、日本との関係改善を水面下で強く働きかけているのではないか。文大統領の反日姿勢の変化のもう一つの背景は、ここにあると考えられる。

他方、文大統領が日韓首脳会談を含めて、関係改善を目指し日本との対話再開を志向するなか、それを拒否し続けるかのような日本側の対応も適切ではないのではないか。元慰安婦と元徴用工の訴訟をめぐる韓国側の具体的対応を求める、との基本的姿勢は変えないとしても、日韓首脳会談には応じたうえで、望んでいる韓国政府の具体的な対応の内容について、説明あるいは議論すべきではないのか。

敵対する北朝鮮やロシアのプーチン大統領にも積極的にコンタクトを試みるバイデン大統領にとって、同じ同盟国内の韓国との交渉を拒むかのような日本政府の姿勢には、大きな違和感があるのではないか。この先、米国との関係悪化につながることがないようにする観点からも、日本政府は韓国側からの対話の働きかけに、もっと柔軟に対応すべきではないか。

 

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。