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パウエル議長は早期のテーパリングを否定

27・28日に開いた連邦公開市場委員会(FOMC)で、米連邦準備制度理事会(FRB)は、大勢の予想通りに金融政策の据え置きを決めた。市場の注目は、テーパリング(資産買い入れの減額)に向けた議論がどの程度進んでいるかに集中していたが、その点に関する情報は限られた。

パウエル議長は記者会見でテーパリングについて「その段階にはない。そうした状況に達するにはまだ距離があると、われわれは考えている」と説明した。また、「テーパリングを開始する時期については何も決定していない」としている。

他方でテーパリングのやり方については、今回の会合で「初めて深く掘り下げた議論があった」とも説明しており、議論が進められていることを裏付けている。テーパリング開始の時期については、今後数回の会合までの経済状況次第であり、現時点でFRBが特定の時期を想定している訳ではないだろう。足もとの物価上昇率の上振れを一過性と考えるFRBにとって、重要なのは感染再拡大を受けた経済動向と労働需給だろう。

ただし、テーパリング開始は今年年末あるいは来年初め、という市場の見方は、今回のFOMC後も維持されよう。市場の次の注目は、8月のジャクソンホール会合だ。パウエル議長は記者会見で、「ジャクソンホールで何を言うかは予言しない」としている。

テーパリングについては、FOMCメンバーの中からMBS(住宅ローン担保証券)を先行させるとの意見が一部に出ている。この点については、今後も議論が続けられるとパウエル議長は述べている。ただし今回の会合で「米国債よりもMBSのテーパリングを早期に開始することへの支持はほとんどなかった」と説明している。やはりそれが実施される可能性は大きくないだろう(コラム「 FRBと各国中銀が頭を悩ませる住宅価格の高騰 」、2021年7月28日)。

それ以外にパウエル議長は、利上げの開始時期については「ずっと先であることは明白だ」と説明している。

金融市場の安定はテーパリングを後押しか

ドル安、株安、債券安など、足元の金融市場が不安定化していないことは、FRBのテーパリング実施を後押ししているように見える。FRBは、テーパリング観測が米国長期金利の上昇と新興市場からの資金流出などの混乱を生じさせた、2013年のテーパータントラムの再燃を警戒してきた。しかし、今のところはそうした傾向は、少なくとも表面的には見られていない。経済状況を見極めて、いつでもテーパリングを開始できる、いわばフリーハンドをFRBは手にしているようにも見える。

ただし、足元での米国長期金利が上昇していないばかりか、むしろ低下している背景は明確ではない。5月には1.7%程度であった10年国債利回りは、足元では1.2%程度にまで大きく低下している。物価上昇率の上振れによって一時市場のインフレ期待は高まったが、それが沈静化してきていることが背景にあるだろう。

10年物価連動国債から算出される市場の期待インフレ率は、5月の2.5%程度から、足元では2.4%程度とやや低下し、少なくとも上昇に歯止めがかかっている。比較的早期にテーパリング、あるいは政策金利の引き上げといった正常化を前倒しする姿勢を見せたことから、それによって中長期のインフレリスクが抑制される、との見方が強まったのだろう。

不確実性の高さから市場にはリスク回避傾向

しかし、それだけでは米国長期金利の低下は十分に説明できない。もう一つの可能性は、市場にある潜在的なリスク回避傾向が、安全資産である国債に資金を向かわせ、国債の金利を押し下げていることだ。

コロナ問題下での経済情勢は極めて不確実性が高い。一時は景気の急回復期待が高まった米国でも、足元では回復一巡の観測に加えて、新規感染者の再拡大による成長鈍化への懸念が浮上してきている。

それ以外にも、金融緩和によるハイイールド債、証券化商品、株式、暗号資産等のリスク資産の価格、あるいは住宅価格が高騰から急落に転じることへの警戒も、市場がリスク回避傾向を潜在的に強める一因となっているのではないか。そして、FRBのテーパリングがその調整の引き金となることもやはり警戒されているのではないか。FRBの正常化は、インフレリスクを低下させる一方、行き過ぎた資産価格の調整の引き金となるリスクを高める可能性がある。

以上のように考えると、長期金利がむしろ低下していることが、FRBのテーパリング実施を容易にさせていると考えるのは短絡的だろう。事態はもっと複雑である。FRBはテーパリングの開始を決めるまでに、経済情勢のみならず、市場の状況も慎重に見極める必要があるだろう。この点から、FRBはテーパリングの開始までに長めの周知期間を設けるのではないか。

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。