雇用統計は強めもデルタ株拡大の影響は未だ反映されていない
米労働省が6日に発表した7月分雇用統計は、予想を上回る強さを示した。それは米国経済の回復を裏付け、米連邦準備制度理事会(FRB)による金融政策の正常化を促す内容になったと言える。
非農業部門雇用者数は前月比94万3,000人増加した。失業率は前月の5.9%から5.4%に低下した。事前の市場予想は非農業部門雇用者数が84万5,000人増、失業率が5.7%だった。
レストランを含むレジャー・ホスピタリティ分野の雇用者数は38万人増と増加が目立っている。夏季に入って、外食や旅行への需要が戻っている様子が見られる。また、教育関連でも雇用増加が見られた。公立学校の雇用者数は22万1,000人増加した。コロナ下で中断された授業の遅れを取り戻すため、多くの学校が夏季クラスを増やしているためとみられる。
他方、労働需給のひっ迫を映して時間当たり賃金も高まり、前年同月比4%上昇した。特にレジャー・ホスピタリティの賃金は10%近く上昇している。
しかし、コロナ変異ウイルス「デルタ株」による感染拡大を受けて、米国経済の先行きについては成長鈍化観測が出ている。雇用統計の調査が行われた7月中旬は、一部の地方政府がマスク着用の義務づけなどの規制を導入する前のタイミングだ。多くの企業がその後、従業員にマスク着用、ワクチン接種、定期的な感染検査などを求めている。その影響は、今後の経済指標に表れてくるだろう。
インフレを警戒する民主党マンチン上院議員はFRBに正常化を求める
7月の米雇用統計発表の前日に民主党ジョー・マンチン上院議員は、FRBのパウエル議長に対して書簡で、景気過熱を回避するために金融政策を正常化するように求めた。同氏は「景気後退期が終わり、米経済が力強く回復する中、私はFRBが記録的な規模の刺激策を経済に注入し続けていることに警戒を強めている」と述べている。
通常、議会は、FRBに対して金融緩和を望む傾向が強いことを考えれば、これはやや異例な対応とも思える。さらに、雇用統計にも表れているように雇用情勢は改善しているが、雇用者数はまだコロナショック前の水準には戻っていない。そうした中で、特に民主党議員がこうした発言をするのはやや意外でもある。実は、マンチン上院議員は民主・共和両党の議席数がきっ抗する上院で、異例の発言力を発揮しているキーパーソンとされる。
マンチン上院議員が警戒しているのは、景気の過熱が足元の物価上昇率の上振れ傾向を高めれば、国民の生活を不安定にさせるためであろう。さらに同氏は、議会の追加支出法案が、足元で急上昇しているインフレ率を加速させかねないことも懸念していると指摘している。
上院では現在、超党派議員らによる1兆ドル(約110兆円)のインフラ投資法案に加え、民主党が掲げる優先事項をまとめた3兆5,000億ドル規模の法案が審議されている。いずれもマンチン上院議員の支持を得られるかがカギとなっており、その行方は不透明だ。
正常化方向で決め打つことのリスク
雇用統計は強めに振れたが、先行きの経済の不確実性は高い。物価上昇率の上振れは一時的である一方、経済には下振れリスクが高まる可能性もある。コロナショック後の経済は、今までの経験則が成り立たない未知の世界でもある。
正常化を巡ってはFRB内でも温度差が小さくない。さらに、経済対策の議会審議の動向によっても金融政策は影響を受ける。現在、金融市場が思い描くような順調な正常化のプロセスとはならない可能性を十分に見ておく必要があるだろう。資産買い入れの削減(テーパリング)よりも政策金利の引き上げについて、より不確実性は大きいだろう。
投資家がFRBの先行きの正常化を決め打つように強く織り込み、長期金利の上昇、債券価格の下落を前提にしたポジションを共通して形作っていくと、長期金利が予想とは逆に大きく下振れ、大きな損失を出してしまう可能性もあるのではないか。これは、過去にも繰り返されてきたことだ。経済、政策両面において不確実性が高いということを、投資家も十分に考慮しておく必要があるだろう。
(参考資料)
"U.S. Economy Added 943,000 Jobs in July, Unemployment Rate Fell to 5.4%", Wall Street Journal, August 7, 2021
"Jobs Report Risks Different Kind of Taper Tantrum", Wall Street Journal, August 7, 2021
"Joe Manchin Says Fed Should Reverse Easy-Money Policies", Wall Street Journal, August 6, 2021
プロフィール
-
木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。