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金融所得課税増税は「貯蓄から投資へ」の政策と矛盾

9月下旬から調整傾向を続けている日経平均株価は、10月5日には前日から一時千円近くもの大幅下落となった。ご祝儀相場とはならずに、岸田政権発足を挟んで株価の下落が続いているが、これは幾つかの要因が複合されて引き起こされたものだ。

第1は、9月初めの菅前首相の辞意表明を受けて、株価は大幅に上昇した。首相交代に伴うコロナ対策の進展や政治情勢の安定への期待が背景にあるとされた。しかし実際にはそれは強い論拠を欠き、行き過ぎた上昇だったとの印象が強い。その調整が進んでいると考えられる。しかし、日経平均株価は既に菅前首相の辞意表明前の水準を超えて下落している。

第2は、岸田首相が、金融所得課税増税の検討を表明していることだ。株式譲渡益や配当金など金融所得への課税は一律で20%(所得税15%、住民税5%)であるが、これによって1億円以上の高額所得者の所得税の負担率が低くなることを問題視したものだ。しかし実際には、金融所得課税増税の実現は難しく、現時点で株式市場がそれほどこの点を強く警戒している訳ではないだろう。

金融所得課税増税は、政府が長らく推進してきた、個人の金融資産投資を促す「貯蓄から投資へ」の政策と矛盾することから、政府内で支持を集めることは難しいのではないか。そもそも1億円以上の高額所得者は人口全体の中でごく一部である。その格差問題を緩和するために、幅広い所得層の投資のインセンティブを削いでしまう政策を行うことは、妥当ではないだろう。

日本株に5つの逆風

足もとでの株価下落は、主に海外要因によって引き起こされていると考えられる。第3は、原油価格の一段の上昇である。そこには、供給制約問題や金融緩和の影響が考えられる。景気回復が遅れる国では、原油価格など物価の高騰は、需要を悪化させる「悪い物価上昇」である。ただし、景気回復をリードしてきた中国、米国の経済にも足元で減速感が見られる中、物価高騰はスタグフレーション的状況を引き起こし、世界経済全体の逆風になってきた感がある。

第4は、中国恒大の経営危機と中国不動産不況、中国経済の減速懸念だ。4日が期限であった中国不動産開発企業の花様年股集団のドル建て債の償還が履行されなかったことが明らかになった。中国恒大のドル建て債の利払いも既に2回履行されていないが(コラム「 恒大の株取引停止。中国政府は海外投資家にどの程度配慮を示すのか 」、2021年10月5日)、問題が不動産業界全体に広がっていることを裏付けるものだ。その他分野でも、中国企業が発行するドル建て債の価格下落傾向が強まっており、デフォルト懸念が広がりを見せている。

そして第5は、米国のデフォルト(債務不履行)懸念である。政府債務の法定上限に抵触することで、10月18日頃には米国政府の資金が底をつき、国債の利払い、償還ができなくなるデフォルトの懸念が続いている(コラム「 米国デフォルトのⅩデー近付き揺らぐドルの信認 」、2021年10月1日)。

バイデン大統領は4日に、政府債務が法定上限に達する危険が隕石のように米経済に衝突しようとしていると警告し、共和党に上限の引き上げ、上限の一時停止を受け入れるように迫った。しかし、議論に前進は見られない。政治的分断が深刻な中、「今回はデフォルトを避けることができないのではないか」との懸念が金融市場に次第に広がってきている。

デフォルトリスクを最も反映しているのが、償還期間が1年以内のTbill(財務省短期証券)市場だ。政府債務が法定上限に達するとみられる、いわゆる「Xデー」を含む4週間物のTbillの金利(オファー)は、9月30日には0.0487%であったが、10月5日には0.1012%まで急上昇している。Xデーが近づく中、市場の不安は強まるばかりだ。

2つのデフォルト問題と岸田政権の政策手腕

米中「2つのデフォルト問題」に翻弄されて、足元での日本株は、震源地である米中市場以上の幅で大きく下落している。

米国と中国は、日本にとって最大の輸出先であり、日本の景気回復には両国の良好な経済環境が欠かせない。他方、日本の金融市場は、米国の金融市場の影響を強く受ける。

岸田新政権は、経済安全保障担当大臣を新設し、経済分野と安全保障分野を結び付ける新たな政策の領域を切り開き、中国に対抗する構えである。しかし、中国との関係をいたずらに悪化させれば、経済面で日本経済に逆風となってしまうリスクにも注意を払う必要があるだろう。

米中「2つのデフォルト問題」によって、日本の株式市場では岸田新政権のご祝儀相場が奪われた形となっているが、これは、優れたバランス感覚を持って、米中双方に配慮した慎重な政策運営を心がけるよう、市場が岸田新政権に求めているかのようでもある。

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。