わが国の独立と生存及び繁栄を経済面から確保する政策
岸田首相の政策の一つの目玉となるのが、「経済安全保障政策」という新しい分野の構築と推進だ。首相は先般の自民党総裁選で、「経済安全保障推進法」の策定を公約に掲げた。そして10月4日の組閣では、経済安保相のポストを新設し、若手の小林鷹之氏をあてている。
同政策の源流は、岸田首相が自民党政調会長時代に創設した「新国際秩序創造戦略本部」にある。その座長を務めたのが自民党幹事長に就いた甘利明氏であり、小林氏は事務局長として実務面から甘利氏を支えてきた。経済安全保障政策は、甘利氏の強い影響力のもとで今後進められていくだろう。
この新国際秩序創造戦略本部での議論をベースに、来年の通常国会で「経済安全保障一括推進法(仮称)」が制定され、経済安全保障政策が本格的に稼働することが見込まれる。
今年5月に示された「 中間とりまとめ 」で同本部は、経済安全保障政策を「わが国の独立と生存及び繁栄を経済面から確保すること」と定義した。その上で、具体的な政策を「戦略的自律性の確保」と「戦略的不可欠性の維持・強化・獲得」に分けている。前者は、主に他国に過度に依存する状況を変えること、後者は、世界で日本のプレゼンス、優位性を高めていくことである。前者が守りの戦略、後者が攻めの戦略と言えるだろう。当面は、前者に力点が置かれるとみられる。
5つの重点分野
「中間とりまとめ」で重要産業として挙げられたのは、1)エネルギー、2)情報通信、3)交通・海上物流、4)金融、5)医療、の5分野である。それぞれについて、重要施策を概観したい。
1) エネルギー
- 自然災害等に起因する大規模停電リスクへの対応等電力の安定供給と効率化
- 電力事業者のサイバーセキュリティ対策の強化
- 原子力の再稼働、使用期間延長。将来的なリプレース、新増設の議論を進める
- 海外でのエネルギー資源確保。レアアース等の確保、備蓄・リサイクルの強化
- レアアース代替技術の開発
2) 情報通信
- 東京・大阪に集中するインターネットの中継地点を地域に移転
- 国際海底ケーブル網について、他の先進国などとの連携強化
- 電気通信事業者のサイバーセキュリティ対策の強化
- 東京・大阪に集中する国内データセンターの耐震性強化と国内立地、地域分散
- 高い安全性・信頼性をクラウドサービスに求める
- 単一のクラウドサービスへの依存を避けるマルチクラウド化
- 国産クラウド事業者の能力構築支援
- 先端半導体の国内開発・製造の推進。海外ファウンドリーの誘致
3) 交通・海上物流
- 鉄道、空港、港湾施設などのインフラ強靭化を加速
- わが国を常時観測・監視する静止気象衛星の運用
- 重要インフラを運用する民間企業のサイバーセキュリティ対策の強化
- 主要航路での航行の安全確保
- 天然ガス・水素・アンモニア燃料船の建造
4) 金融
- 金融機関の危機時における事業継続計画(BCP)策定、バックアップセンター
- 基幹決済システムの頑健性向上とバックアップ機能の維持・拡充
- 個人情報保護の観点から国内のクラウド事業者を選定するなど安全性追求
- 犯罪、データ漏洩への対応。量子コンピュータ対応など暗号技術等の高度化
- 金融機関のサイバーセキュリティ対策の強化
- コーポレートガバナンスコードに経済安全保障政策の視点を盛り込む
- 中銀デジタル通貨(CBDC)発行の実現可能性と法制面の手当てを検討
- 政府・日銀は他国と連携し先進国のCBDCの特性や技術標準を検討
5) 医療
- 国立感染症研究所の機能強化
- ワクチン・治療薬の研究開発能力の強化
- 医薬品、医療機器、個人防護具などの安定供給確保
- 原薬・原料の海外依存度が高い医薬品は、備蓄・国内製造する製薬企業を支援
- 医療情報のデジタル化推進
- 医療機関におけるサイバーセキュリティ対策の強化
新型コロナウイルス問題で高まった中国の脅威
経済安全保障政策は、従来、日本が遅れを取っていた分野と言えるだろう。同政策への関心が俄かに高まったきっかけは、新型コロナウイルス問題を受けた中国の動向だ。日本は、マスクや防護服など、新型コロナウイルス問題下で重要な製品の供給が、中国からの輸入に大きく依存していたことを知った。他方で中国は、豊富な国産品を使って、「マスク外交」、「ワクチン外交」を世界に繰り広げた。マスク、ワクチンの供給をインフラ投資計画などと連動させて、他国への影響力強化に利用したのである。
これに対して日本は、医療品など重要製品について、企業に国内回帰を促すよう補助金制度を導入した。中国の生産拠点を日本あるいは他のアジア諸国に移転させることを促したのである。
他方、早期に経済環境が改善した中国企業によって、株価が下落して割安となった日本企業が買収されることを警戒した政府は、外為法改正を通じて、防御を図った。さらに、中国企業を念頭に土地購入の規制措置も講じた。このように経済安全保障政策は、新型コロナウイルス問題後に高まった中国の脅威への対応を原動力にして進められてきた側面が強い。
中国への対抗が強く意識されていることは確かであるが、経済安全保障政策の狙いはそれだけではない。上記5分野での対応を見ると、その柱は、第1に、他国依存度が高い分野の見直し、第2に、サイバーセキュリティ対策の強化、第3に、自然災害への対応の3つである。第1については、中国が強く意識されていることは確かだが、例えばクラウドサービスについては、米国企業への過度の依存も問題とされている。
政策執行上の3つの留意点
経済と安全保障を結び付けた対策を講じることは重要である。岸田政権の下での経済安全保障政策の今後の進展を見守りたい。
他方、気がかりな点もある。第1に、製品やサービスで国産化、内製化を急速に進めると、割安な輸入製品、サービスが割高な国内製品、サービスに置き換えられることで、コスト高が生じる可能性がある。これは経済活動にもマイナスとなってしまう。そして、これは、日本が国是とする自由貿易の推進に逆行する。国産化、内製化の推進は、コストや国内経済、貿易への悪影響にも十分配慮して、分野を絞って進めることが重要だろう。
第2に、インフラの自然災害への対応を進めることは、まさに国土強靭化政策である。経済安全保障政策の推進が、政府による巨額なインフラ投資のきっかけとなる場合には、財政環境を一段と悪化させてしまう恐れがある。この点についても、分野を絞った慎重な対応が望まれる。
第3は、経済安全保障政策は、対中戦略を強く意識したものであり、また、バイデン米政権の中国包囲網戦略とも深く関わる。米国は今後も中国との間のサプライチェーンの分断を進めていくとみられる。
しかしこの点で日本が米国に完全に同調してしまえば、中国との政治的関係をいたずらに悪化させてしまう恐れがある。その結果生じる、中国との経済・貿易関係の変化は、日本経済に悪影響を与える可能性が高い。日本の国益を第一に考えるならば、外交、安全保障政策では米国と強く連携しつつも、中国との間の経済関係の悪化はできるだけ避けるよう、優れたバランス感覚が求められる。
(参考資料)
「
中間とりまとめ
」、令和3年5月27日 自由民主党 政務調査会 新国際秩序創造戦略本部
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