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「新しい資本主義実現会議」はもっと時間をかけて議論すべき

政府は8日、岸田文雄首相が新設した「新しい資本主義実現会議」に緊急提言案を提示した。これは、政府が今月19日にも取りまとめる経済対策や、来年度の当初予算案に反映される予定である。その内容を概観すると、評価できる部分と問題と感じられる部分が混在している。

いずれにせよ、この緊急提言案は、岸田カラーを添えながらも既に議論されてきた施策案をかき集めたもの、との印象がある。「新しい資本主義」という既存の経済の制度やルールを抜本から変えることを目指す「新しい資本主義実現会議」、その大きな看板にはそぐわない点は気になる。また、同会議は発足以来まだ2回目の会合であったにもかかわらず、政府から緊急提言が示され、その審議と承認を要請されていることは、同会議の民間メンバーには気の毒な感もある。

この緊急提言案が仮に中間報告という位置づけであるにしても、「新しい資本主義実現会議」は、もっと時間をかけてじっくりと議論すべきではなかったか。その上で、議論の結果を、来年度あるいはそれ以降の本予算などに随時盛り込んでいくべきだろう。今回の緊急提言案は、次の経済対策、補正予算に間に合わせるために、拙速で議論を進め、結論を出すことを求められているように見える。

税制、補助金で企業の賃上げを促すことは難しい

緊急提言案は、岸田政権が掲げる「成長と分配の好循環」の実現を柱に据え、第1に成長戦略、第2に分配戦略が示されている。「分配戦略がバラマキ的」との批判に応えて、成長戦略をまず議論する体裁としたのかもしれないが、政策の重点は、引き続き賃上げを中心とする分配政策に置かれているように見える。

緊急提言案では「人への投資」の重要性が謳われており、それはその通りである。しかし単に賃上げを促すのであれば、それは人への投資にならない。持続的な実質賃金の上昇には、企業の成長期待を高め設備投資を促す成長戦略、構造改革が優先されるべきだ。

緊急提言案では、賃上げに積極的な企業の税額控除率を引き上げる案が示されている。さらに法人税を支払っていない赤字の中小企業の賃上げを促すために、補助金の要件に新たに賃上げを加えることも検討する、としている。

しかし、税制、補助金を通じた一時的な優遇で、企業の賃上げを本当に促すことができるかどうかは疑わしい。安倍政権のもとでも、「アメとムチ」を通じて企業に賃上げを促したが、上手くいかなかった(コラム「 税優遇で企業の賃上げは促されるのか 」、2021年10月11日)。

企業が自ら賃上げを進める経済環境を、政府が経済政策を通じて生み出すことが重要だ。そのカギとなるのは、企業の成長期待である(コラム「 衆院選後の岸田政権経済政策の課題と期待 」、2021年11月1日)。

医療、介護、保育の規制改革は必要

賃上げに関する提言案には、看護や介護、保育の現場で働く人たちの収入を増やしていくため「公的価格評価検討委員会」を設置し、給与の在り方を抜本的に見直すことが含まれている。医療、介護、保育での慢性的な人手不足を緩和し、サービスの質を向上させるために必要な措置だろう。これは、上記の企業一般に賃上げを促す措置とは別であり、賃上げ策というよりも公的サービスの規制改革、と位置づけるべきだ。その議論は是非進めていって欲しいところである。

さらにこれが、看護や介護、保育の現場で働く人たちの処遇改善にとどまらず、それぞれのサービスの大きな規制緩和へとつながっていけば、そこに高額サービス需要など新たな需要も生まれ、経済の付加価値を拡大させる可能性も広がるだろう。

デジタル田園都市国家構想など構造改革、成長戦略に期待

緊急提言案の成長戦略、構造改革の部分については総じて賛成であり、一層議論を進めていって欲しいところだ。

成長戦略、構造改革の一つと位置づけられているのが、岸田首相が以前から主張してきたデジタル田園都市国家構想である。地方でデジタル技術の普及を進めて都市部との格差を縮める構想だ。それについては、交付金で「デジタルを活用した地域の自主的な取り組みを応援する」と強調されている。

また他の成長戦略では、デジタル化や脱炭素化、人工知能(AI)技術など「必要な研究開発を複数年度にわたって支援する枠組みを設ける」と明記された。10兆円規模の大学ファンドは、今年度内の運用開始を目指す。経済安全保障を推進する法案の早期提出や、半導体工場の国内立地支援も盛り込まれた。

半導体工場の国内立地支援については、台湾企業の国内工場誘致に巨額の財政資金を補助金として投じることになるが、これが国内半導体メーカーによる先端半導体の国内生産にしっかりとつながっていくようにすることが必要だ。

規模ありきの経済対策は問題

それ以外には、マイナンバーカードの普及に向けてマイナポイントを付与する事業の第2弾を行うことが明記された。また、新型コロナウイルス対策強化、クリーンエネルギー自動車の導入促進、「GoToトラベル」の再開に向けた準備を進めることなどが盛り込まれている。

「GoToトラベル」事業の再開は必要ではなく、今年度予算に繰り越された同事業の予算は減額補正すべきと筆者は考える(コラム「 GoToトラベル再開で3.8兆円の景気浮揚効果:再開には慎重な検討も 」、2021年10月27日)。仮に再開するのであれば、昨年実施された際に浮き彫りとなった問題点を十分に検証し、それを踏まえて慎重にその設計を考えるべきだ。

岸田首相が掲げてきた企業の四半期業績開示の見直しが、緊急提言案に入っていなかったのは意外だった。それこそが、「新しい資本主義実現会議」で議論するのに最も相応しいテーマであるからだ。おそらく議論の方向性がまだ見えていないためだろう。筆者は四半期業績開示を見直すことが、企業の短期志向を修正し、経済活動に好影響を与えるとは必ずしも考えていない。他方で、見直しで情報開示を後退させることは、投資家からの強い批判を考えれば、実現は難しいのではないか。

「新しい資本主義実現会議」の緊急提言案の一部は、19日にも取りまとめる政府の経済対策、補正予算に反映される。岸田首相は「数十兆円規模の経済対策」を公約に掲げてきた。しかし、補正予算は、当初予算編成時に想定していなかった環境変化を受けた予算の修正が本来の姿である。緊急性のない予算は、補正予算には計上すべきでない。

また、規模にこだわることなく、効率的なコロナ経済対策の策定を政府には期待したい。繰越金などを再度精査し、減額補正を組み合わせて行うことで、追加経済対策を実施しても、補正による予算の上振れ規模をかなり抑え込むことは可能なはずだ。

(参考資料)
「デジタル田園都市実現へ交付金/来年度予算で看護・介護賃上げ/「新しい資本主義」緊急提案」、2021年11月8日、建設工業新聞
「看護師や保育士、賃上げする方針 「新しい資本主義」提言案」、2021年11月6日、朝日新聞
「マイナポイント第2弾・GoTo再開を明記 経済対策の原案」、2021年11月6日、日本経済新聞電子版

 

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。