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春闘で賃上げに前向きな姿勢を示す一方一律の賃上げは求めない

2022年の春季労使交渉、いわゆる春闘に臨む経団連の方針案が、各種報道により明らかとなった。そこでは、高収益企業は「新しい資本主義の起動にふさわしい賃金引き上げが望まれる」と明記される見通しだ。これは、岸田政権が掲げる「新しい資本主義」に配慮するものだ。

他方で、岸田政権が期待する「3%を超える賃上げ」を目標として明示することはない(コラム「 蘇る官製春闘:なぜ同じ政策を繰り返すのか 」、2021年11月26日)。新型コロナウイルス禍による企業業績のばらつきが大きいことを踏まえて、一律の賃上げは求めないのである。昨年に続いて、自社の状況に応じて労使協議で賃金を決める「賃金決定の大原則」が重要であることを強調する見通しだ。

このように経団連は、岸田政権に配慮して賃上げに前向きな姿勢を示す一方、一律の賃上げは求めず、各社の状況に応じた対応を尊重する。実質的には、春闘に臨む経団連の姿勢は従来と変わらず、「3%を超える賃上げ」を期待、要請する岸田政権の姿勢が春闘の賃上げ率に目立った影響を与えることもないだろう。

新型コロナウイルス問題による経済活動の悪化は、通常の景気後退とは異なり、格差が非常に大きいことが特徴である。同問題によってむしろ事業が追い風を受けている業種も少なくない。従って、足元の業績が比較的良好で、先行きのビジネス環境の見通しが良い企業は、比較的大きな賃上げを実施することも十分に可能な状況だ。しかし全体としては、それは難しい。

春闘は、一律の賃金上昇率を決定する場としての歴史的な役割を既に終えているだろう。賃金は各社の状況に合わせて決定される一方、環境変化に合わせて、一律の賃金引上げ以外の賃金体系の見直し、働き方の見直しなど、幅広いテーマを労使が協議する場へと変容している。そうした中で、春闘で企業に高い賃上げを求める政府の姿勢には違和感もある。

2022年賃上げ率は2%強か

同様に3%の賃上げ目標を掲げた安倍政権の下でも、賃上げ率は3%に達することはなかった。しかもここでいう賃上げ率は、定期昇給分を含んだものだ。個人消費などに大きく影響する一人当たりの平均賃金上昇率は、定期昇給分を含まないベースアップ率に概ね等しくなる。そのベースアップ率は、安倍政権の下でのピークでも+0.4%台半ばにとどまった。そして、新型コロナウイルス問題によって、2021年にはほぼゼロ近傍まで低下したのである。

2021年の春闘は、2回目の緊急事態宣言下という厳しい経済環境の中で行われた。2022年の春闘はそれよりは良い環境で行われるとすれば、ベースアップ率は+0.2%程度、定期昇給分を含む賃上げ率は2%強と、なんとか2%台を回復する可能性を見ておきたい。

「アメとムチ」では大幅賃上げは実現しない

しかしこの程度の賃上げが、個人消費の強い拡大につながることはなく、また、「成長と分配の好循環」の起点となることはないだろう。

安倍政権も賃上げを促す政策をかなり強硬に進めた。その手法はまさに「アメとムチ」であった。いわゆる官製春闘で企業に高い賃上げを求める一方で、「賃上げ税制」を導入し税優遇措置で企業に賃上げを促そうとした。しかし既にみたように、そうした政策は上手くいかなかったのである。それにも関わらず、同じ政策を岸田政権は繰り返そうとしている。

政府が本来目指すべきなのは、企業が自ら賃金を引き上げ、労働者を確保していくことを促すような経済環境を作り出すことだ。そのためには、労働生産性上昇率、潜在成長率を高める、あるいはそうした期待を高める政策を進めることが重要である。それこそが成長戦略、構造改革である(コラ、「 蘇る官製春闘:なぜ同じ政策を繰り返すのか 」、2021年11月26日)。

 

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。