物価上昇率に対して賃金上昇率はなお低い
米国では、2021年春に突如顕著になった物価の高騰がなお続いている。物価高騰の背景には、需要が高まる一部業種での人手不足による供給制約がある。企業は賃金を引き上げて採用を進めようとしているが、感染リスクを警戒して職場復帰を控える人もなお多く、人手不足は容易に解消しない。感染リスクを警戒するだけでなく、多くの業種での賃金上昇を受け、より高い賃金水準で職場復帰を果たすために様子見を続ける人も多いようだ。
世界的な物価の高騰は、新型コロナウイルス問題による一時的な現象という側面が強い。2022年に感染リスクがさらに低下していけば労働者の職場復帰も進み、人手不足の緩和から物価の高騰も一巡してくることが期待される。そもそもいつまでも失業保険で暮らす訳にはいかない。
他方、オミクロン株などの影響で感染リスクが長期化すれば労働供給は増えず、物価高騰もより長引く可能性がある。その際に、高いインフレ率を定着させてしまう恐れがあるのが高い賃金上昇だ。物価高騰を賃金に上乗せする動きが広まり、それが価格に転嫁されていくという物価と賃金のスパイラル的上昇のリスクがある点には注意が必要だろう。
2021年11月の時間当たり平均賃金上昇率は前年同月比+4.8%と、同じ月の消費者物価の前年同月比+6.8%をかなり下回っている状況だ。その分、消費者の購買力は低下している。これが長く続けば生活水準は低下してしまう。このように、現状では物価上昇が賃金に大きく転嫁されている状況ではない。
COLA(生活費調整)の広がりは米国経済の大きなリスク
しかし、1970年代のオイルショック時には、物価高騰による生活費の上昇分を賃金に上乗せする動きが米国では広まり、それが物価と賃金のスパイラル的上昇とインフレ体質の定着につながったと考えられる。
物価上昇分を賃金に上乗せし生活水準の低下を回避することを、COLA(生活費調整)という。インフレ率が高かった1970年代、80年代には、労使協定にこのCOLAの条項が盛り込まれるケースが多かった。
しかし、1990年代に入り、インフレが緩やかな水準に鈍化するにつれて、COLAの存在感は薄れていった。さらに組織率の低下や生産性の伸び鈍化などを受けて、賃金上昇率は抑制される傾向を強めていったのである。
この点を踏まると、COLA を通じて物価と賃金のスパイラル的上昇が生じ、原油価格高騰という一時的な物価高が持続的な物価高につながる可能性は大きくないように見える。そうであれば、米連邦準備制度理事会(FRB)が急速な金融引き締め策の実施を強いられ、景気が一気に失速してしまうようなリスクも限られるだろう。
ただし足元では、COLAに復活の兆しもみられる。ストライキに入っていた食品メーカー、ケロッグの労働者は2021年12月21日、COLAを盛り込んだ労働協約に調印した。こうした賃上げ方式を取り入れた協約としては、最近で2件目の大型合意である。
感染リスクが長期化することで物価高騰が続く場合には、COLAを盛り込んだ労働協約が多くの企業で広まっていく可能性がある。それは、物価と賃金のスパイラル的上昇とFRBによる急速な金融引き締め策を招き、米国経済の深刻な下振れリスクとなるだろう。
(参考資料)
"In Hot Job Market, Salaries Start to Swell for White-Collar Workers", Wall Street Journal, December 27, 2021
"Wages and Prices Are Up, but It Isn’t a Spiral—Yet, Wall Street Journal", November 11, 2021
"Surging Inflation Has Workers Demanding Bigger Raises. Could It Lead to a Wage-Price Spiral?", Wall Street Journal, December 27, 2021
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。