北京五輪の会場で外国人も初めてデジタル人民元を利用
北京五輪では、外国人に初めてデジタル人民元を利用する機会が与えられた。当初予想されていたように、五輪のタイミングに合わせて正式発行とはならなかったが、間もなく正式発行される主要国で初めての中銀デジタル通貨(CBDC)を、世界にお披露目していることは間違いない。北京五輪同様、そこには中国の国威発揚の狙いがあるだろう。
中国ではデジタル人民元が試験的に使用できる場所は、大都市を中心に800万か所以上あり(2021末時点)。デジタル人民元のアプリをダウンロードしたアカウントは3億弱、総取引金額は約876億元(約1兆6千億円)に上るとされる。
中国人民銀行は、北京五輪開幕式のちょうど1か月前の1月4日に、デジタル人民元の電子財布アプリ「数字人民幣」を、アップル、グーグルなどのアプリストアに公開した(コラム「 北京五輪開幕1か月前にデジタル人民元試行版アプリを配信 」、2022年1月5日)。まだ限定的ではあるが、その利用者はそのアプリをダウンロードし、さらに民間銀行、アリペイ、ウィーチャットペイのサブウォレット(財布)を追加することができる。それぞれの口座からウォレットにチャージして、デジタル人民元を使うことができるのである。このアプリは外国人も利用できるように、中国語だけでなく英語表示でも使える。
ただし、スマートフォンのアプリでデジタル人民元を利用するには、中国国内の銀行の口座を持っている必要があるため、短期滞在で入国する五輪関係の外国人は、スマートフォンのアプリではデジタル人民元を利用できない。そこで、そうした短期滞在の外国人も利用できるように、五輪の会場ではデジタル人民元のプリペイドカードも販売されており、それを現金(人民元及び外国通貨)で購入することができる。また、それはタッチ方式で決済される。将来的には、主に外国人観光客が利用することなどを想定しているのだろう。
北京五輪の会場では、交通、飲食、宿泊、買い物、医療、通信サービス、娯楽チケットの7分野でデジタル人民元が使用できるようだ。
米議会は五輪でのデジタル人民元利用に強い警戒を示す
一方、北京五輪の会場を使って、中国がデジタル人民元を海外にアピールすることを、米国は強い警戒を持って見ている。米共和党の有力上院議員パット・トゥーミー氏は、「中国政府には五輪を利用してデジタル人民元の国際化を進め、クロスボーダー決済の標準規格を確立する狙いがあるのではないか」との懸念をイエレン財務長官とブリンケン国務長官に書簡で表明した。
さらに、同議員は財務省と国務省に対して、中国を訪れた外国人のデジタル人民元の利用率や五輪開催期間中のデジタル人民元の発行総額などを報告するように求めた。そのうえで、米政府が独自のCBDCの開発を検討する際に、中国でのデジタル人民元の導入事例が参考になるかどうかについても報告するよう求めたのである。
日米でも中銀デジタル通貨の議論で動き
米国も含めて先進国では、デジタル人民元が海外で利用され、またクロスボーダー決済で世界標準となることを警戒する向きは少なくない。実際、北京五輪でのデジタル人民元のお披露目に前後して、他の主要国では、CBDCの議論が従来よりも進み始めたように見える。
米連邦準備制度理事会(FRB)は1月20日に、CBDCに関する初の報告書を公表した(コラム「 デジタルドルに慎重姿勢を続けるFRB(中銀デジタル通貨報告書) 」、2022年1月24日)。内容については、日本銀行を含め他の多くの中央銀行が既に公表している論点整理と変わらず、また、「政府や議会が新たな法制化などを通じてCBDCの発行を明確に後押ししない限り、FRBが発行計画を進めることはない」と明言するなど、発行に向けた慎重な基本姿勢は従来崩していない。しかし、広く国民などに意見を問うなど、デジタルドルの議論を喚起している。
日本銀行は2021年4月から、CBDCの第1段階の実証実験を始めた。2022年4月からは第2段階に進み、現金との交換や決済システムとの連携などについて確認する。1月28日の国会で黒田総裁は、CBDCを発行できるかについて「2026年までに判断する」と述べた。また、「制度設計の検討もそろそろ始めようと考えている」と、従来よりも踏み込んだ発言をしている。
財務省もCBDCの導入に向けて、今年7月にも体制を強化する予定だ。法改正などを想定し、日銀や金融庁と緊密に連携していく。
インド、ニュージーランドでも中銀デジタル通貨発行に向けた動き
インド準備銀行(中央銀行)がCBDC「デジタル・ルピー」を2023年度(2023年4月~2024年3月)中に導入する計画であることを、インド政府が2月1日に突然明らかにした(コラム「 インドが中銀デジタル通貨(CBDC)『デジタル・ルピー』の発行計画を明らかに 」、2022年2月2日)。
仮に「デジタル・ルピー」が2023年度中に本格的に発行されれば、それは経済規模の大きい主要国の中では、ユーロ圏を一気に追い越して中国に次ぐ2番目となるだろう。
さらに2月8日には、ニュージーランド準備銀行(中央銀行)が、CBDCを巡る設計面の作業に着手すると表明した。多段階かつ複数年にわたる作業となる見通し、としている。
北京五輪を起点に世界の通貨・金融、クロスボーダー取引標準を巡る覇権争い
このように、各国ではCBDCを巡る議論が、にわかに高まり始めている。これは、北京五輪で世界にお披露目されたデジタル人民元が、世界の通貨・金融システム、世界のクロスボーダー取引に与える大きな影響力に対する他国の強い警戒心の表れではないか。今後中国がデジタル人民元を正式に発行し、さらにそれをクロスボーダーで本格的に利用し始めれば、先進国を中心に警戒心は一層掻き立てられ、それが自国でのCBDC発行の計画前倒しへとつながっていく可能性があるだろう。
そして、デジタル人民元の発行をきっかけに、世界の通貨・金融、クロスボーダー取引の標準を巡る覇権争いが、中国と先進国の間で本格化していく可能性が出てきたのである。デジタル人民元は、先進国ではその影響力を高めることはできなくても、中国の友好国を中心に新興国では予想外にその利用が広まり、将来的に、世界の通貨、金融覇権に大きな影響を与える可能性がある点には十分留意しておく必要があるのではないか。
こうした点から、今回の北京五輪は、「世界の通貨・金融分野での熾烈な覇権争いの起点になった」と、後に評価される可能性もあるだろう。
(参考資料)
「米共和党上院議員、五輪期間中のデジタル人民元の監視要請」、2022年2月7日、ロイター通信ニュース
「中国のデジタル人民元、「国際化が短期間で急速に進展することは容易ではない」と韓国紙」、2022年2月7日、Record China
「財務省、デジタル通貨対応で体制拡充へ」、2022年2月6日、日本経済新聞電子版
「中国文化と先端科学の競演 北京冬季五輪の選手村」、2022年2月4日、CNS(China News Service)
「デジタル人民元、五輪でアピール スマホに毛沢東像、決済は数秒」、2022年2月1日、朝日新聞
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