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ロシアが欧州最大のウクライナ原子力発電所を砲撃

ウクライナ情勢を睨んで不安定な動きを続けてきた金融市場は、3月4日には混迷の度を一層強めることとなった。ロシア軍が南部エネルホダルにある欧州最大の原子力発電所を砲撃し火災が起きた、との報道が飛び出したためだ。

ウクライナのドミトロ・クレバ外相は4日未明(現地時間)に、ロシア軍が南部エネルホダルにある欧州最大の原子力発電所を砲撃していると述べた。また同氏はツイッターへの投稿で、「火災はすでに発生している。もし爆発したら、チョルノブイリの10倍の規模になる」と述べ、ロシア軍に即時攻撃停止を呼びかけた。

国際原子力機関(IAEA)はツイッターで、ウクライナの規制当局から放射線量に変化があったとの報告はなかったとしている。またAP通信によると、エネルホダルにある原発の広報担当者はウクライナのテレビ局に対して、ロシアの砲撃により、現在稼働していない施設の原子炉で火災が発生した、と語ったという。

またグランホルム米エネルギー長官は、同原発が「強固な格納構造で保護されており、原子炉は安全に停止されている」、「周辺で放射能レベルの上昇は見られない」と述べている。

商品市況、金融市場は大きく反応

今回の事件は、ウクライナ情勢には原発という深刻な問題も潜んでいることを、金融市場に改めて思い起こさせることになった。

ロシアのウクライナ侵攻、それを受けた先進国からの段階的なロシア制裁を受けて、ロシアの金融市場は大きな混乱に見舞われた。ロシアの株式市場は5営業日連続で休場となっている。しかし、それとは対照的に、先進国市場は比較的安定を維持してきたのである。ただし、今回の原発砲撃に対しては、世界の金融市場は大きく動揺した感がある。

特に敏感に反応したのは株式市場だ。4日の日経平均株価は、一時前日比800円安、3%安まで急落した。また安全資産である国債利回りは、10年債が-2bp(ベーシスポイント、100分の1%)、40年債は-4bpなど、日本の国債としては大きく低下した。これらは、典型的なリスク回避の動きである。

商品市況も比較的大きく反応している。WTI原油先物価格は一時5ドル近くも上昇し、金価格も一気に5%近く上昇した。

市場に原発リスクの意識が定着か

このように、原発砲撃の報を受けて市場は大きく反応したが、注目したいのは、放射性物質の拡散などが起こっていないことが確認された以降も、市場の価格の戻りがかなり鈍いということだ。これは、原発リスクが市場で強く思い起こされ、先々もそのリスクが残る、との考えを市場が強めた結果であるかもしれない。

先週来の先進国による一連の経済・金融制裁は、ロシア側に相応の打撃を与えており、それがウクライナでのロシアの軍事行動に一定程度の抑止効果をもたらす、との期待も生じていただろう。その結果、先進国市場は比較的安定を維持していたのである。

他方で、追い詰められたロシアは、核兵器の利用をちらつかせる戦略を見せ始めている。さらに、今回の原発砲撃も、ウクライナ、先進国側に対する脅しとも考えられるところだ。そうであれば、今後も原発の施設周辺への攻撃が行われるかもしれず、偶発的な原発事故の発生リスクは今後も残る、と市場は考えたのではないか。

専門家によれば、仮にザポロジエ原発で本格的な事故が起き、核物質が拡散すれば、その範囲はチェルノブイリ原発事故を大幅に上回るという。さらに、放射性物質による汚染はウクライナの国境を越えて欧州全土や中東、近東にまで広がる恐れがあるという。これは大変大きなリスクである。

先進国側は、今までのように経済・金融制裁でロシアを追い詰めるだけでなく、ロシアが自暴自棄になり、こうした暴挙に出ることがないように、ロシアを完全に追い詰めない戦略も合わせて講じなければならなくなるのかもしれない。そうなれば、戦略はかなり複雑化することが避けられないだろう。

原発リスクを認識した金融市場は、これまで以上にウクライナでの軍事紛争に対してセンシティブになる、といったある種の構造変化を起こした可能性があるのではないか。

(参考資料)
"Europe’s Largest Nuclear Plant Attacked by Russia, Ukraine Says", Bloomberg, March 4, 2022
「識者「脅しの材料になると分かってしまった」 ウクライナ原発火災」、2022年3月4日、毎日新聞

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。