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パラジウムの供給を担うオリガルヒは制裁対象から外れる

ウクライナ紛争に関わる先進国の対ロシア制裁措置やロシアの報復制裁措置によって、ロシアが世界で高いシェアを持つ原油、天然ガスの供給遮断への懸念が広がっている。それらの供給遮断や価格高騰は、世界の経済活動に幅広く打撃を与えるものだ。

他方で、特定製品の生産に大きな打撃となり得るのは、ロシアの持つ貴金属、レアメタル(希少金属)の供給遮断やその懸念を背景にする価格高騰である。ロシアは、白金やパラジウムなどの白金族元素や、ニッケルなどのレアメタルが豊富な国である。2020年のパラジウム生産量はロシアが82トンと、世界の43%を占めた。

英精錬大手ジョンソン・マッセイ(JM)によると、パラジウムの用途は8割超が自動車の排ガス触媒向けとされる。それ以外に、携帯電話のコンデンサ、歯科用合金や半導体用めっき等にも使われる。

ロシアのパラジウムの生産の最大手は、ノリニッケル社(ノリリスク・ニッケル)である。ノリニッケルは、EV(電気自動車)用電池の主要素材であるニッケルの世界の年間生産量の約5%を占め、また触媒コンバーター(排ガス浄化装置)や半導体に使われるパラジウムの年間生産量の約40%を担っている。パラジウムについては、ロシア国内での生産を一手に担っている状況だ。さらに、コバルトや銅などの遷移金属も供給している。

ノリニッケル社のCEO(最高経営責任者)ウラジーミル・ポタニン氏は、オリガルヒである。オリガルヒとは、ソ連崩壊の混乱に乗じて国営企業を安値で購入して財をなした新興財閥のことを言う。彼らは、プーチン大統領の「独裁」維持を支えているとも言われている。ポタニン氏は、ボリス・エリツィン政権下でロシア副首相を務め、旧ソ連崩壊後の民営化を推進し、同国のばく大な資産の多くをオリガルヒの支配下に置く役割を果たした。

ロシアのウクライナ侵攻への制裁措置として、先進国は、オリガルヒの何人かを制裁対象としている。しかし、ポタニン氏はその中に入っていない。先進国は、原油、天然ガスと同様に、先進国へのパラジウムの供給が停止してしまうことを恐れているのである。

パラジウムの調達の支障よりも価格高騰が自動車メーカーなど日本企業に打撃

日本は国内で利用するパラジウムの3割程度はロシアに依存しているとみられるが、ノリニッケル社およびポタニン氏が直接制裁対象となっていないことから、現時点では企業のロシアからのパラジウム調達に支障は出ていない模様だ。今後については、ロシアからのパラジウムの調達が遮断される事態も考えられるが、南アフリカなど他の国からの調達を拡大する余地はあるだろう。また、自動車メーカーなどでは、パラジウムの在庫を積み増していたとも言われており、直ぐに生産活動が制約される事態は起こらないと見られる。荻生田経産相も、パラジウムの一定の在庫はあり、またロシア以外からの調達の可能もあることから、現時点で、関連企業の製造に影響あるとは聞いていない、と発言している。

しかし、パラジウムの価格高騰は企業に大きな打撃であり、最終的には製品価格に転嫁されて消費者の負担になる可能性がある。パラジウムの価格は現在1オンス3,000ドル程度と史上最高値圏にある。年初の1,830ドル程度から64%も上昇しているのである。

1台のガソリン車に使うパラジウムは、平均で3グラム前後とされる。パラジウムのコストは1台当たり、年初の2万2,300円程度から、3万6,500円程度へと上昇した計算となる。

先進国へのロシアからのエネルギーや貴金属、レアメタルの供給が停止しないように注意して制裁範囲を決めても、市場は先行き制裁が強化されていく可能性や金融制裁によって供給に支障が生じるとの見方を強め、その結果価格は急騰してしまう。実態を先取りした価格高騰こそが、現時点では、先進国の対ロシア制裁のブーメラン効果であり、世界経済の下方リスクや金融市場不安定化のリスクを高めている。

(参考資料)
"This Russian Metals Giant Might Be Too Big to Sanction", Wall Street Journal, March 7, 2022
「ロシアの希少資源とは パラジウム、世界の4割 きょうのことば」、2022年3月4日、日本経済新聞
「排ガス触媒パラジウム、10カ月ぶり最高値 ロシア産懸念」、2022年3月7日、日本経済新聞電子版

 

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。