&N 未来創発ラボ

野村総合研究所と
今を語り、未来をみつめるメディア

IEAは3月に続き原油備蓄の協調放出を決定

国際エネルギー機関(IEA)は4月1日に緊急の閣僚会合を開き、加盟国が石油備蓄を協調放出する方針を決めた。協調放出は米国が提案したもので、それに先立ち米国は1億8,000万バレルを放出する考えを示している。

IEA加盟国は3月1日には、11年ぶりとなる計6,000万バレルの協調放出を決めていた。その際は、米国が半分の3,000万バレル、日本は750万バレルの放出だった。今回は米国だけで、その3倍の放出量となる。

各国の石油備蓄の放出額やその期間などは決まっておらず、今後調整される。1週間程度をめどに決まる見通しだ。

米政府は3月31日に、向こう半年間にわたって戦略石油備蓄(SPR)を5月から半年にわたって日量100万バレルを放出すると発表した。日量100万バレルは、世界の需要の約1%に相当する規模である。その直前に、主要産油国からなるOPECプラスは、5月に合計で日量43万2,000バレルの増産を続けることを決定し、引き上げ幅の拡大を見送っていた。OPECプラスが増産拡大の要請に応じないことから、米国が追加の石油備蓄放出を決定した形である。

原油高対策は中間選挙対策

バイデン大統領は、「ガソリン価格の上昇はプーチンの戦争のせいだ」と発言し、米国民が不満を強めている原油高の責任は、米国政府にあるのではないことを示唆したうえで、この追加の石油備蓄放出を打ち出したのである。原油高対策は、秋の中間選挙を強く意識したものと言える。夏の参院選を意識して、物価高対策を中心とする緊急経済対策を現在取りまとめているとみられる日本政府とも共通している。

そのうえで、バイデン大統領は協調放出について、米国以外の規模が「3,000万~5,000万バレルとなる可能性がある」との見通しを示した。その場合、放出の総量は米国と合わせて2億1,000万バレル~2億3,000万バレルとなる。米国と同様に5月から半年間の措置と考えれば、日量115万バレル~126万バレルの規模となる。

ロシアの原油輸出がなくなれば原油放出で補えるのは3分の1程度

ところでロシアはウクライナ侵攻前に、世界の石油需要の5%に相当する日量約500万バレルの原油を輸出していた。しかし、米国、カナダはロシアからの原油輸入を停止し、英国も段階的に停止する方針を示している。欧州もロシア産原油への依存度を下げる方針だ。さらに、西国の石油会社や商社などがロシア産の原油調達を自主的に敬遠している。そのためIEAは、4月以降ロシアからの輸出量が原油で日量150万バレル減ると予想している。その場合、ロシアの原油輸出の減少分は、IEAの追加石油備蓄放出とOPECプラスの増産を合計した日量158万バレル~169万バレル、平均164万バレルで概ねカバーできる計算である。

しかし、実際には、制裁による貿易活動への打撃、海外エネルギー企業撤退がロシアの原油生産に与える影響、そしてロシア産原油依存度を引き下げる先進国の取り組み進展によって、ロシアの原油輸出はさらに減る可能性が考えられる。仮にロシアの日量約500万バレルの原油輸出がすべて減少する場合には、上記の原油供給増加見通しの最大値である169万バレルであっても、その3分の1程度しか穴埋めできない計算となる。

ロシアのウクライナ侵攻と先進国の対ロ制裁措置によって、世界の原油需給バランスは大きく変化した可能性が高い。これは、一時的な石油備蓄の放出では十分に対応できるものではないだろう。それは、長期間にわたり、原油価格を高止まりさせる要因となるのではないか。

原油消費国は、対処療法にとどまらず、中長期の脱炭素目標と整合的となるように、再生可能エネルギーの活用拡大、エネルギー効率の向上などを進めて、原油需要の抑制に努めていくことが求められる。

(参考資料)
"U.S. Oil Release Could Have Been More Strategic", Wall Street Journal, April 1, 2022
「石油備蓄の追加放出を決定、IEA加盟国 規模はなお調整」、2022年4月2日、日本経済新聞電子版
「ロシア産原油「穴埋め」5割どまり 対策に限界」、2022年4月2日、日本経済新聞電子版
「IEA臨時閣僚会議、石油備蓄の協調放出で合意…放出量は過去最大規模となる見通し」、2022年4月2日、読売新聞速報ニュース
「備蓄石油、再び協調放出 IEA決定 米は企業に増産圧力」、2022年4月2日、朝日新聞

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。