米国は日本の円安進行を大きな問題とは捉えていない
歯止めがかからない円安進行への対応として、円買いの為替介入実施への期待が、金融市場に浮上している。この観点から注目されたのが、ワシントンで開かれたG7(先進7か国)中央銀行・総裁会議と日米財務相会議だ。
鈴木財務大臣は米国時間の4月21日(日本時間22日朝)、米ワシントンでイエレン米財務長官と初めて会談した。議論の内容は公表されていないが、米財務省は、「外国為替市場を含めた市場動向について議論した」と公表した。また関係者によると為替介入についても話が出た、と報じられている。米国側が為替介入について前向きに検討、との一部報道が流れ、円相場を128円台前半にまで一時押し戻したが、その後は128円台後半に戻している。他のメディアはこの報道に追随せず、金融市場への影響は一時的なものとなった。
鈴木財務大臣は会談後に、イエレン財務長官に対して「私から直近の円安が急激であることを、数字をもって示した」と述べており、円安進行で苦しむ日本の窮状を強く訴えたと見られる。
しかし、合意された内容については、「日米の通貨当局間で緊密な意思疎通を図っていくことを確認した」と決まり文句にとどまった。米国側としては、日本の円安進行を大きな問題とは捉えていないだろう。米国側が円安を問題視し、その阻止に向けて為替介入などを検討している場合には、そうした意図を公式な声明文で伝えるはずだ。それがなかったということは、米国側は為替介入の実施に慎重であることを意味しているだろう。
どの国も自国通貨安を回避したいと考えている
日本が為替市場に介入する場合、通常はG7、特に米国の承認が必要となる。ただし、単独介入では十分な効果は発揮されず、協調介入でないと効果は限定的とされる。しかし、米国が日本の為替介入を認める可能性は低く、ましてや協調介入を実施する可能性は、当面のところは考えられない。
先進国が為替介入を行えば、それは中国など新興国が為替操作を実施することを正当化してしまう、という点を米国は今までも強く警戒してきた。さらに、現在、物価高に苦しんでいるのは日本だけでなく、ほぼすべての国である。それらの国はみな、自国通貨安を避け、物価高阻止のために自国通貨高を望んでいる。仮に米国が日本に為替介入を認めれば、他の主要国でも同様の動きが広がり、自国通貨高競争へと陥ってしまうリスクが出てくるだろう。その結果、国際協調は大きく揺らぎ、また市場機能は損なわれてしまう。こうした点を踏まえれば、現状では米国が日本の為替介入を認めるとは思えない。
日本独自の判断で為替介入を断行することは可能だが、その場合には米国との関係悪化を覚悟しなければならない。日本政府がそこまでのリスクを犯すとは考え難い。
2011年10・11月に、円相場が戦後最高値の1ドル=75円台を付けた後に円売りをしたのが、日本が実施した最後の為替介入だ。その際には、東日本大震災で苦しむ日本が円高進行でさらに苦しんでいることへの配慮から、米国や欧州などG7が協調介入に加わった。
他方、円安に歯止めをかけるための円買い介入は、アジア通貨危機を受け円安が進んだ1998年6月に実施したのが最後である。
決定会合での日本銀行の政策方針修正は期待できない
日米財務相会談が不発に終わり、為替介入への期待が後退するなか、金融市場の注目は、4月27・28日の日本銀行金融政策決定会合での日本銀行の政策対応に移っている。しかし、その場で、日本銀行が円安阻止のために金融政策の方針を修正する可能性は低い。
訪米中の黒田総裁は22日にニューヨークで講演し、米国と比べて日本の個人消費や労働市場の回復が鈍い点を指摘したうえで、「いまの金融緩和を継続する必要がある」との考えを改めて示している。決定会合でも同様の判断を示す可能性が高い。
円安進行に配慮して、日本銀行はイールドカーブコントロールの柔軟化を一段進めて、長期金利の上昇を一定程度容認する方針に転じる可能性については、いずれは考えられるところだ。しかしそれは、今回の決定会合ではないだろう。足もとでもなお、連続指値オペを通じて、長期金利上昇を強くけん制する姿勢を改めて示しているのである。
黒田総裁は最近の国会答弁で「急速な円安進行はマイナス」と、従来の円安容認的な発言を修正してきている。決定会合後の記者会見でも同様の発言をする可能性がある。そうした口先介入、リップサービスが円安進行に対する唯一の対応となるのではないか。それでも、為替市場に与える影響は限定的だろう。
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。