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賃金上昇率に鈍化の兆しも急速な金融引き締め懸念は続く

5月6日に公表された4月分米国雇用統計では、賃金上昇率に鈍化の傾向が見られた点が注目される。非農業雇用者増加数は前月比+42.8万人増加した。12か月連続で40万人を超す高い増加となり、事前予想の平均値+40万人程度とほぼ一致している。また失業率は前月と同水準の3.6%と事前予想の平均値3.5%をやや上回った。3.5%は新型コロナ問題が生じる直前の2020年2月に記録した50年ぶりの低水準だ。

雇用者増加数は多く、失業率にみる労働需給はかなりひっ迫している、という今までの傾向に変化は見られない。ただし、今回の雇用統計で最も注目すべきなのは、賃金(平均時間当たり賃金)上昇率に鈍化の兆候が見られていることだ。それは、前年同月比+5.5%と前月の同+5.6%からわずかながらも低下した。また前月比は+0.3%と前月の同+0.5%から鈍化している。過去3か月間の前月比上昇率の平均値は+0.3%と、それ以前の3か月間の平均値+0.5%から明らかに鈍化しているのである。

賃金上昇率の鈍化傾向は、深刻な人手不足のもとで企業が大幅に賃金を引き上げて新規雇用を確保する動きが弱まってきたことを示している可能性が考えられる。この傾向が定着すれば、賃金上昇に基づく物価上昇圧力も緩和され、米連邦準備制度理事会(FRB)の急速な金融引き締め姿勢にも変化をもたらす可能性も出てくるだろう。

しかし現状では、4月分米国雇用統計公表後も、FRBの急速な金融引き締め姿勢への金融市場の警戒感は変わらず、同日の10年物国債利回りは前日比0.10%の3.14%と、2018年11月以来の高水準で取引を終えた。またダウ平均株価は一時500ドルの大幅下落となった。

コロナによる労働市場の構造変化

現在の雇用者数は、コロナ前の水準を依然120万人下回っている。それにも関わらず、失業率がほぼコロナ前の低水準にまで達しているのは、失業率を計算する際の分母となる労働力人口(生産年齢人口のうち働く意志がある人。雇用者数と失業者数の合計)が減少したためだ。生産年齢人口(16 歳 以上の人口から一部の働くことができない人を除いたもの)に占める労働力人口を労働参加率というが、それは4月に62.2%とコロナ前の2020年2月の63.4%を下回っている。生産年齢人口にカウントされているが、職探しをしていない非労働力人口が、新型コロナウイルス問題をきっかけに急増したのである。彼らが再び職探しを始め失業者とカウントされるようになれば、失業率は上昇し、賃金上昇率はさらに鈍化することが考えられる。

新型コロナウイルス問題で職を失った人のうち一定割合が、再就職するために職探しを行っていない理由として、当初考えられたのは、上乗せされた失業給付を受けるため、あるいは再就職によって感染リスクに晒されることを避けるため、と考えられた。しかし現状では、それらの要因は説明力を失ってきている。他方、より良い条件での再就職を目指して、安易に仕事を探さない人が多い、との指摘もある。

新型コロナウイルス問題は、対人接触型のサービスを縮小させる一方、製造業を増加させるなど、産業構造の変化、労働市場の構造変化を引き起こしている。しかし、現在は未だ移行期であり、新たな産業構造が定着するには一定の時間がかかる。そうした中、拙速に再就職を決めてしまえば、再び職を失う可能性も出てくるだろう。他方、新たな産業構造を見極めたうえで再就職すれば、自身の持つスキルが長く発揮でき、良い給与条件で安定した職を得ることができる面があるのではないか。

非労働力人口増加の背景に、このような新型コロナウイルス問題が引き起こした産業構造の変化、労働市場の構造変化があるとしても、それは何年も続く性格のものではないだろう。

賃金上昇率の鈍化だけでは、FRBが金融引き締め姿勢を見直すきっかけとはならない。物価高騰が続く中、賃金上昇率の鈍化が金利上昇と相まって個人消費の減速につながり、雇用増加数が顕著に減少する、あるいは非労働力人口にカウントされている人が職探しを始めることで失業率が大きく上昇することが雇用統計で確認できれば、それは金融政策の見直しにつながるだろう。

(参考資料)
"The U.S. Economy Is Desperately Seeking Workers", Wall Street Journal, May 7, 2022

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。