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ジャック・マー氏の支配権放棄でアント・グループは金融持ち株会社へ

中国のEC大手アリババグループ創業者のジャック・マー(馬雲)氏は、アリババ傘下で決済アプリ・アリペイを提供するフィンテック企業アント・グループの支配権を手放す計画である、とウォールストリート・ジャーナル紙が報じている。

アント・グループは2020年に340億ドル規模のIPO(新規株式公開)の準備を進めていたが、その直前に当局によって止められた。これは、2021年にかけて行われたテクノロジー企業あるいは不動産、教育産業などに対する当局の一連の統制強化の起点となった。そこでは、「共同富裕」の理念に基づき、巨額の利益を上げる企業が統制の対象となった。

アント・グループの場合には、アリペイを通じて得た個人データを個人向け貸出の信用判定に活用し、それを銀行などにも提供することで巨額の利益を上げていた。また、その個人データはアリババのEC事業にも利用されていた。民営企業が大量の個人データを所有することについても、当局は国家の情報統制を脅かすものとして強く警戒していた。個人データを共有するように、マー氏には当局から長年圧力がかかっていたが、マー氏はそれを拒否してきた、とも伝えられている。

当局によって、アント・グループは業務分野ごとに事実上解体されていった。そして当局は、それらの業務を統括する金融持ち株会社を設立し、中国人民銀行の管理下に置くことを考えている。金融持ち株会社化に際して、当局はアント・グループのガバナンス構造を変えることを求めていた。それは、ジャック・マー氏の影響力低下である。

将来の上場に道を開くか

ジャック・マー氏は直接アント・グループの株式を保有していないが、関連企業を通じて、50.52%の株式を保有している。こうした事実上の支配的地位を捨てることは、当局が求めていたことであり、それはアント・グループの金融持ち株会社への移行を可能とし、アント・グループの一連の改革を完了させるものとなる。

報道では、ジャック・マー氏がアント・グループの支配権を放棄することは、当局が強要したものではなく、ジャック・マー氏自身の判断によるものとされる。その真偽はともかくとして、ジャック・マー氏自身もアント・グループに強い影響力を持っていることが、同社のガバナンスを弱くしている、との問題意識を長らく持っていた、との報道もある。

そしてアント・グループの金融持ち株会社化と共に注目されるのが、延期されているアント・グループの上場である。ジャック・マー氏がアント・グループの支配権を放棄することで、当局がアント・グループの上場を認めることになるかどうかは明らかではない。ただし、それがジャック・マー氏と当局との間の交換条件になっている可能性もあるのではないか。

アント・グループの株式は従業員も多く保有していることから、上場によって従業員は資産を拡大させることができ、それが従業員の働くインセンティブになっていたとされる。この点から、アント・グループの上場は従業員にとっても悲願なのである。ジャック・マー氏がアント・グループの支配権を放棄し、当局に譲歩することで、従業員が望む将来のアント・グループ上場に道を開く選択をした可能性も考えられるのではないか。

(参考資料)
"Jack Ma Plans to Cede Control of Ant Group", Wall Street Journal, July 28, 2022

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。