金融市場への影響は限られたパウエル議長の発言
米連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル議長は8日に、ケイトー研究所で行われた金融政策に関する討論会に出席した。事前に注目を集めていた議長の発言は、引き続きインフレ警戒色がかなり強いものとなった。
パウエル議長の主な発言は以下のようなものだ。「インフレに対し直ちに、強力に行動する必要」、「仕事をやり遂げるまで、続ける必要」、「FRBはインフレに関する責務をやり遂げ、継続する必要」、「インフレが目標を上回る期間が長引くほど、リスクが高まる」、「歴史は時期尚早の緩和を警告している」。
これらの発言は、先月にジャクソンホール会合でパウエル議長が行ったものとかなり重なるものだ(コラム「 ジャクソンホールで改めて示されたFRBの『景気を犠牲にしても物価高を定着させない』という強い意志 」、2022年8月29日)。それゆえに、市場ではサプライズは生じなかったが、実はその点が重要なのである。
ジャクソンホール会合でのタカ派色の強い発言を受けて、金融市場では利上げ期待がさらに強まり、これが長期金利の一段の上昇、ドル高、株安を招いた。こうした市場の反応が、パウエル議長が意図したものでない場合には、今回のような発言の機会を利用して、市場の期待の修正を図るのが通例だ。今回そうしなかったのは、利上げに関する市場の期待が、FRBの考えと乖離したものではないからだ。
パウエル議長の発言は、予想通りの内容であったため、金融市場への影響は限られた。
中間選挙を前に物価高対策はバイデン政権にとっても最優先の経済課題
11月8日の米中間選挙までには、9月20・21日、11月1・2日と2回の米連邦公開市場委員会(FOMC)がある。一般に、物価高の局面では、選挙前にFRBと政府との間に金融政策を巡る軋轢が生じやすい。選挙結果にマイナスの影響を与える景気悪化を警戒して、政府はFRBの金融引き締めを嫌う傾向があるためだ。
しかし今回はそうならない。歴史的な物価高が続く中、国民は政府に対しても物価の安定に向けた政策を強く期待しているからだ。イエレン米財務長官は8日に、バイデン大統領の政策により経済は新型コロナウイルス感染拡大前よりも強くなったとの見方を示した。それと同時に、こうした傾向を維持するために物価高への対応は必要とし、バイデン政権は物価高への対応を「最優先の経済課題」と認識していると述べている。
パウエル議長も討論会で「政治的配慮に影響されず」と述べており、中間選挙がFRBの金融政策に影響を与えることは考えられないところだ。この先のFRBの政策は政治日程ではなく、経済指標と金融市場の動向に大きく左右されるのである。
日本政府の為替介入実施は難しい
FRBがタカ派色を強める中、さらなる積極利上げへの観測が為替市場で円安ドル高傾向をもたらしている。ドル円レートは連日のように24年ぶりの円安水準を更新しており、7日には145円直前にまで達した。
急速な円安進行を受けて8日には、財務省・金融庁・日銀が3者協議を行った。その後、財務官は、政府・日銀が「こうした動きを極めて憂慮している」と強調し、「政府としてこのような動きが継続すれば、あらゆる措置を排除せず、為替市場において必要な対応をとる準備がある」、「米国を含めて各国当局とは緊密に連携をとっており、しっかりと意思疎通はできている」と語った。
3者協議を開催することは、円安が進む為替市場へのけん制を意図したものであり、それが具体的な政策対応につながるものではない。いわゆるポーズである。この点は市場に見透かされていることから、為替市場への影響もほぼなかった。
財務官の言う「必要な対応」とは、「政府による為替介入と市場で理解される」ことを狙った表現であるが、実際には為替介入実施に向けたハードルは高い。主要国の為替介入は他国、特に米国の同意を得ることが必要だ。しかし、仮に米国が日本に自国通貨買い介入を認めると、日本と同様に自国通貨安による一層の物価高を警戒する他国での為替介入実施につながり、為替介入を通じた通貨高競争に発展しかねない。そうなれば、主要国間での国際協調は崩れ、新興国などでの為替介入、為替操作の拡大にも道を開いてしまう。
こうした点を踏まえれば、日本が米国を中心として他の主要国に容認された形で円買いの為替介入を実施する可能性は低い。他方、米国から承認されないままで為替介入を実施することは理屈の上では可能であるが、それを行えば米国との外交関係は悪化し、安全保障の分野などにも悪影響が広がる可能性も出てくる。
レートチェックは最後の隠し玉か
また、為替を意識して金融政策の修正は行わない、と日本銀行は明言していることから、円安進行を日本政府、日本銀行の政策対応によって食い止めることは相当に難しい。FRBの利上げペースがこの先鈍化することで、米国の長期金利の上昇が一巡し、ドル安円安にも歯止めがかかるのを日本としては待つ他ないのである。
そうした中、日本銀行が民間銀行に対して、現在の為替レートの水準を電話で聞く、「レートチェック」を行うかどうかに注目しておきたい。過去の例では「レートチェック」はしばしば為替介入の前段階であったことから、それは市場の為替介入観測を生じさせる可能性はある。そのことを通じて円安を食い止める効果を、当局は期待するだろう。今回は仮に日本銀行が「レートチェック」を行ったとしても、それが為替介入につながる可能性は低いが、為替市場に一時的には影響を与えることができるだろう。当局にとっては最後の「隠し玉」であろう。
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。