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英国債が米国債を揺り動かす「しっぽが犬を振り回す」状態に

政府の大型減税策発表をきっかけに英国債は急落し、10年利回りは9月22日の3.6%台から28日には4.7%台へと、わずか4営業日の間に1%以上もの上昇を見せた。英国債市場は大きな混乱状態に陥ったと言える。28日に英国中銀が無制限での国債買い入れを発表したことで利回りは低下に転じたが、足元でもなお4.4%と高水準で推移している。

英国債市場の混乱自体も驚きであるが、もっと驚いたのは、世界で最も流動性が高く信頼性が高い国債である米国債が、その影響を強く受けたことである。米国債10年利回りも22日から28日の間に0.4%上昇し、一時10年ぶりに4%に達した。他方で、28日に英国10年国債の利回りが低下すると、米国10年国債の利回りは一気に0.3%ほどの急落となった。1日の動きとしては、2020年3月以来だ。

米国債市場の動きが英国債市場に大きな影響を与えることはしばしばであるが、その逆は珍しいのではないか。まさに「しっぽが犬を振り回す」状態だ。

米国債市場がここまで英国債市場の動きに翻弄された背景には、英国債の価格急落で損失を出したレバレッジの高い投資を行う投資家が、損失を穴埋めするために最も取引がしやすい米国債を売却し、その後に反対売買を行ったため、との指摘もある。グローバル投資家は概して、資産売却やヘッジ取引が必要になると、最も売買しやすい米国債を売却することが多い。

当局が3つの目標を同時に達成することは難しい

他方、米国債市場の過剰な反応の背景は、こうした投資家の手口に関わる要因以外にも、経済ファンダメンタルズに関わることもあるのではないか。つまり、英国で起こったことは英国だけの問題ではなく、米国でも起こり得るリスクである、あるいは英国市場の混乱が米連邦準備制度理事会(FRB)の政策に影響を与える、との市場の見方である。

英国市場の混乱は、当局が3つの目標を同時に達成することが難しいことを改めて浮き彫りにした。3つの目標とは、「為替・物価の安定」、「経済の安定」、「金融の安定」である。「物価・為替の安定」を最優先する英国中銀の大幅利上げは「経済の安定」のリスクを高め、「経済の安定」を最優先する英国政府の大型減税策は「為替・物価の安定」と「金融の安定」を損ねてしまったのである。

3つの目標が同時に達成できないだけでなく、政府と中央銀行が目標を共有できなかったことで混乱が深まった。

同様なことが米国でも起こるのではないかとの懸念が、英国国債と米国国債の連動性を強めた面があったのではないか。FRBは3つの目標のうち、「経済の安定」を犠牲にしつつ「物価・(為替)の安定」を最優先としている。そして、「金融の安定」には今のところ大きな配慮を示していない。

欧州市場が混乱すればFRBの利上げの制約も

米バイデン政権も現在は「物価・(為替)の安定」を最優先としており、この点からFRBの大幅利上げを支持している。しかし今後、米国経済が減速感を強めれば、バイデン政権は「経済の安定」をより重視する姿勢を強め、「物価・(為替)の安定」を最優先とするFRBとの間に軋轢が生じかねない。そこで、バイデン政権が巨額の景気対策を打ち出せば、英国のようにインフレ懸念や財政収支の悪化懸念から国債利回りが上昇し、また通貨の信認が低下することでドル安が生じる可能性がある。

他方で、現在のところは、FRBは「物価・(為替)の安定」を最優先とし、大幅な利上げを進めているが、英国市場の混乱が欧州全体あるいは世界全体に波及するような事態となれば、FRBも「金融の安定」に配慮して、利上げペースを緩める可能性がでてくる。それは米国長期国債の利回りを低下させる。

このような経済ファンダメンタルズに関わる市場の観測を背景に、米国債利回りは英国債に連動して大幅に上下した、とも解釈できるだろう。

英国で生じた金融市場の混乱は、同様な問題に直面している他国でも起こり得ることだ。当面のところ特に注視しておかねばならないのは、エネルギー不足などで景気が急速に減速しているユーロ圏だ。しかもユーロ圏は、金融政策は統一されているが財政政策は統一されていないことから、金融政策と財政政策との間に矛盾が生じやすいのである。ポピュリスト政権の下で財政拡張策が実施されるとの観測が出ているイタリアでは、10年国債利回りは0.8%程度も上昇した。欧州では、欧州債務危機、ユーロ危機が再燃するリスクが生じている。

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。