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IT人材の国外流出に歯止めがかからない

ウクライナ侵攻後、IT技術者を中心にロシアからの頭脳流出が後を絶たず、ロシア経済の将来の成長の芽が摘まれている状況だ。

IT技術者の大量の海外流出は、ウクライナ侵攻直後から始まった。ウクライナ侵攻やプーチン政権に反対する人材が国外に逃れたのである。さらに、9月にプーチン大統領が約30万人の動員令を発令すると、徴兵から逃れるため、第2波の海外流出が起こった。プーチン政権は、IT人材を動員の対象にしないことを明言し、人材流出を止めようとしているが、今までのところ目立った効果は見られていない。

ロシアの人材企業ベントラが9月の動員令の発令直後に実施した調査によると、国内のIT労働者の25%が出国を考えていると回答した。そのうち6%が既に出国している。また、ロシア電子通信協会(RAEC)が夏に実施した同様の調査では、21%が出国を検討していると回答した。IT人材の出国者は、第1波と比べて第2波は2~3倍との指摘もある。

IT人材が海外に流出する理由は、既に述べた戦争やプーチン政権への反対、動員逃れだけではない。多くの外資系企業がロシアからの撤退を決めたことも影響している。そうした企業に勤めていたロシア人IT技術者は、会社の求めに応じて出国するケースがある。

また、先進国による制裁によって、ロシア国外からの支払いに支障が生じたことも、ロシアのスタートアップ企業やIT人材が出国するきっかけになるケースがあるという。商品・サービスに対する対価を受け取るために使用していた銀行送金、あるいはアップル・ペイ、グーグル・ペイなどでの支払いの一部がロシア国内で使えなくなった。

ロシア人IT技術者最大10万人、ロシア人全体で最大100万人が出国か

各種報道によると、ウクライナ侵攻後に5万~10万人のIT技術者がロシアから出国したと推定されている(一部はその後に帰国)。政府は兵役猶予や優遇住宅ローンの提供など、IT人材への優遇策を打ち出しているが、流出には歯止めがかかっていない模様だ。こうした事態は、IT大国としてのロシアの地位を失うことにつながるだろう。

他方、ダウ・ジョーンズ社によると、ウクライナ侵攻以降、IT技術者の最大10万人を含む最大100万人のロシア人が出国したと推定されている。100万人であれば、ロシアの人口1億4,600万人の約0.7%に相当するもので、中長期だけでなく短期的な経済の足かせにもなっているだろう。

セルビアが新たな移住先に

ロシアのIT技術者の移住先としては、ジョージア、トルコ、アルメニアが多い模様である。ジョージアとアルメニアは、ロシア国籍者には入国ビザが不要であり、またトルコは、到着時にビザが発行されるためである。

ただし、足元では、バルカンの小国セルビアへの移住が増えている。セルビアの政府関係者によると、ウクライナ戦争が始まってから、5万人から10万人がロシアからセルビアに入国したと考えられる。ちなみに、ラトビアに拠点を置くロシアの独立系メディア、メドゥーサがまとめた各国の記録によると、ロシアの隣国カザフスタンには9万8,000人、ジョージアには5万3,000人、フィンランドには4万3,000人がそれぞれ入国した。

ロシアのIT技術者にとってセルビアを移住先とするメリットは、第1に、多くの人がビザ(査証)を免除されることだ。セルビアはロシアへの直行便を維持している数少ない国の一つでもあり、ロシアに帰国することも容易だ。第2は、セルビア語はロシア語に近いことである。第3は、セルビアは歴史的にロシアの友好国で、ロシアのウクライナ侵攻は非難したものの、対ロシア制裁は実施していない。そのため、制裁の影響を受けずにビジネスを行うことが可能である。第4に、セルビアは欧州連合(EU)加盟を目指しており、EUと無関税で貿易を行っていることから、EU向けビジネスに適している。第5に、先進国に移住する場合、現在、ロシア人は敵視される可能性があるが、セルビアではそうした傾向が弱い。

この何か月かの間に、数万人のロシア人エンジニア、プログラマー、起業家、芸術家、科学者などがセルビアに到着した。またウクライナ侵攻後に、700社近いロシア系企業が数千人のロシア人を雇用する支社を開設し、約1,500人のロシア人が新会社を設立したという。ロシア人のビジネスのコミュニティーがセルビアに形作られているのである。

彼らが環境の良いセルビアに定住しロシアに戻らない場合には、IT産業などを中心にロシア経済には大きな打撃となり、まさに将来の成長の芽が摘まれかねないのではないか。

(参考資料)
"Departure of Tech Workers Weighs on Russian Economy(ロシア、IT技術者が大量出国 経済を圧迫)", Wall Street Journal, November 14, 2022
「DJ-【焦点】ロシア人材巡る争奪戦、セルビアがリード(1)」、2022年10月28日、ダウ・ジョーンズ新興市場・欧州関連ニュース
「ウクライナへの軍事侵攻、ロシアIT人材の国外流出の引き金に」、2022年10月26日、ジェトロ地域・分析レポート

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。