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IT産業の大リストラでも1月の雇用は予想外の大幅増

2月3日に公表された1月分米国雇用統計で、非農業雇用者増加数は前月比+51.7万人増、と事前予想を大幅に上回る増加となった。事前予想の平均値は19万人増程度だった。この増加数は昨年7月以来である。

また失業率は3.4%と前月の3.5%から低下し、およそ53年ぶりの水準に達した。「レジャー・接客」や「医療関連」など比較的幅広い分野で雇用が増加し、労働市場の堅調ぶりを示した。他方、昨年末に年末消費の不振を反映して雇用者数が大幅に減少した小売業や人材派遣業では、その反動増が1月に集中的に表れた面もあるだろう。

昨年秋以降、米国のIT産業では大規模な人員削減計画が相次いて発表されてきた。例えば昨年にはアマゾンが1万8000人以上の人員削減、今年1月にはマイクロソフトが世界で1万人以上の人員削減を発表している。

そして雇用調査会社チャレンジャー・グレイ・アンド・クリスマスによれば、米国に拠点を置く企業などが発表した1月の人員削減数が、約10.3万人と前月から約2.5倍増加し、1月としてはリーマンショック後の2009年1月以来14年ぶりの高い水準に達した。そのうちIT産業での人員削減は4.1万人と全体の4割を占めた。

2月分の数字をみないと雇用の実勢は判断できない

このようにIT産業が大規模な人員削減を実施するなかで、雇用環境は安定した状態が従来続いてきた。これは、一種の謎ともされてきたが、人手不足に直面している他の産業が、IT産業で職を失った人を迅速に採用しているため、と解釈されている。ただし、IT産業での人員削減の勢いが一段と強まる一方、製造業などを中心に成長の鈍化傾向が進む中では、雇用情勢はこの先次第に厳しさを増すことが予想される。

1月の雇用統計に1月分の大幅な人員削減の影響が表れていない背景には、人員削減計画の発表と実際の削減との間に時間差があることが考えられ、今後、IT産業を中心とする大幅人員削減の影響が雇用統計にも表れてくる可能性が考えられる。また、1月の数字は、雇用にかかわる様々な制度改定や大規模ストライキが起きやすいなどの季節的要因によってかく乱されている、との指摘もある。こうした点から、少なくとも2月分の雇用統計の数字をみないと、労働市場の実態を判断できないだろう。

ターミナルレートの見通しを引き上げる動き

1月分雇用統計を受けて、金融市場では政策金利の到着水準、いわゆるターミナルレートの見通しを引き上げる動きが広まった。統計発表前は、政策金利は3月に4.75%~5.0%でピークをつけるとの見方がコンセンサスであったが、統計発表後は5月に5.0%~5.25%でピーク、との見方が強まった。それを受けて、1ドル128円台にあったドル円レートは、統計発表後に一時1ドル131円台まで一気にドル高円安が進んだ。

米連邦準備制度理事会(FRB)は2月1日の米連邦公開市場委員会(FOMC)で、2会合連続での利上げ幅縮小を決め、またパウエル議長が現状を「ディスインフレ」と表現したことなどから、金融市場は次回3月のFOMCでの利上げ打ち止めを織り込み、その過程で円高ドル安が進んでいた。今回の雇用統計は、FOMCを受けた金融市場の動きを帳消しにするものとなったのである。

利上げ打ち止めの判断に大きな影響を与えるのは雇用よりも物価・賃金

FRBがどの水準で利上げを打ち止めるかの判断に大きな影響を与えるのは、雇用の数字ではなく、物価あるいは賃金の数字だろう。足元まで物価上昇率は着実に低下してきている。さらに、上昇を続けるサービス価格に大きな影響を与える賃金上昇率についても着実に低下してきているのである(コラム「 FRB利上げ停止のタイミング:日本銀行の正常化策も左右 」、2023年2月1日、「 一段と鮮明となるFRB利上げ姿勢の変化:利下げ時期を巡るFRBと金融市場の戦いは続く 」、2023年2月2日)。

今回の雇用統計でも、時間当たり賃金上昇率は前月比+0.3%とほぼ予想通りの結果となり、前年同月比は+4.4%と前月の同+4.6%から着実に低下してきている。 物価、賃金上昇率が着実に低下を続ける元では、FRBは近い将来、利上げを停止する可能性が高い。FRBが注目するPCE価格指数の6か月前比年率が+2%程度まで低下すれば、3月で利上げを打ち止めにする可能性も依然残される。

他方、FRBが利下げに踏み切る際の判断には、雇用、景気指標がより大きな影響を与える。雇用、景気に強い減速感が生じない限り、FRBは利上げを停止しても、利下げに踏み切ることには慎重だろう。この意味で、今後の雇用動向は、FRBの利下げ判断に大きな影響を与え得る。

現時点で、FRBの利下げ姿勢への転換の可能性を示す明確な材料は出ていないが、製造業を中心に、成長率の鈍化傾向が続いている可能性は高い。雇用統計も含め、経済指標が一段と下振れた場合には、3月あるいは5月のFOMC後に、年後半の利下げ観測が金融市場で一気に高まり、長期金利の低下傾向とドル安傾向を加速させる可能性があるだろう。

 

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。