共同声明は直ちに見直す必要はない
4月9日に就任した日本銀行の植田新総裁は、10日の夕刻に岸田首相との初顔合わせを行った。会談後に植田総裁は、「政府と日本銀行の共同声明について、直ちに見直す必要はないとの認識で一致した」と記者団に語っている。先般の国会所信聴取でも植田総裁は、「現在の物価目標の表現を直ちに変える必要はない」と語っており、そうした見方で岸田首相と一致していることを、改めてアピールしたのである。
物価目標に関わる方針を含む共同声明の見直しについて、両氏が慎重な姿勢を見せた背景には、金融緩和の修正や2%の物価目標の見直しに強く反対する自民党保守派への配慮もあるのではないか。そもそも岸田政権は、昨年から共同声明の見直しに前向きの姿勢を示唆していた。岸田首相も、共同声明が日本銀行の金融政策の自由度を奪い、政策を硬直化させてしまったことを問題視してきたのではないか。植田総裁の金融政策は、発足当初から政治の影響を強く受ける、厳しい船出のように見受けられる。
植田新総裁のもとで日本銀行は、2%の物価目標を中長期の目標へと新たに位置付けるなど柔軟化した後に、本格的な金融緩和の枠組み修正に乗り出すと考えられる。「直ちに見直す必要はないとの認識で一致した」とは、「直ちにでなければ見直す可能性がある」とも解釈できるのではないか。
ただし、こうした表現を用いたことで、共同声明の見直しと2%の物価目標の柔軟化が行われるのは、年前半ではなく、少なくとも年後半にずれ込むと見ておきたい。その時点で経済状況が悪化し、米国での金融緩和観測が強まっていれば、マイナス金利解除など本格的な金融緩和の枠組みの見直し開始は、2024年後半以降にずれ込むだろう。
多くの副作用を指摘しつつも近い将来の政策見直しには言及せず
10日夜には、日本銀行で植田総裁と2人の副総裁による就任記者会見が行われた。全体として、植田総裁の発言内容は国会での答弁と近いものであり、サプライズはなかった。さらに、4月27・28日の初回の金融政策決定会合で政策の修正を行うことを示唆するような発言もなかった。早期の政策修正観測が幾分後退し、会見後に為替市場ではわずかに円安に振れた。
マイナス金利政策は銀行の収益環境を損ねる点やイールドカーブ・コントロール(YCC)は市場機能を損ねる点など、植田総裁は現在の金融緩和の副作用、問題点には明確に言及した。ETF買い入れについても、問題点は多いと指摘している。この点からは、記者会見での植田総裁の発言は、最終的には金融緩和の枠組みを大きく見直していくことを予感させるものであったように思われる。
しかし、直ぐに政策を見直すことには否定的な発言も目立った。この点から、4月27・28日の初回の金融政策決定会合でYCCの修正を実施する可能性はかなり低くなったと見ておきたい。初回の決定会合で政策修正を行う可能性を事前に市場に伝える機会であったこの就任記者会見で、その機会を使わなかったのである。
いずれは2%の物価目標を柔軟化か
記者からは2%の物価目標についての質問が多かったが、それに対する植田総裁の回答でやや注目されたのは、2%の物価目標と金融政策について語った箇所である。「(2%の物価目標の達成が)難しいということになれば、副作用に配慮しつつ持続的な金融緩和のあり方を探りたい」と説明した。
また植田総裁は「どんな状況でも短期で2%の物価目標を達成できる訳ではない。外的ショックが存在し、また金利がほぼ0%に近く金融緩和の効果が限られる中、その達成は容易でなく、時期を区切って達成を目指すことはしない」とも述べている。
こうした発言を踏まえると、いずれは2%の物価目標を柔軟化したうえで、金融緩和の枠組みを見直していくという方向性を植田総裁は示唆しているように思える。しかし、先述したように、物価目標の柔軟化は「直ちに」は実施しないだろう。
YCCは継続が適切と発言
金融市場では、植田新総裁が比較的早期にYCCの修正を実施するとの観測が根強くある。植田総裁は、YCCには市場機能を損ねる副作用があるものの、現状では継続が適切、と説明している。
実際のところ、日本銀行がYCCの撤廃を決めるまでには時間がかかるだろう。他方で、YCCを継続しつつも、市場機能への悪影響や国債買い入れ拡大などの副作用に配慮して、YCCの変動幅拡大や変動幅撤廃などのYCCの柔軟化は、比較的近い将来に行う可能性はあるように思われる。その時期は、最短では6月の決定会合とみるが、記者会見の内容を踏まえると、年後半に先送りされる可能性もありそうだ。
金融緩和の枠組みの本格的な見直しは後ずれの方向
植田総裁の就任記者会見からは、日本銀行が早期に金融緩和の枠組みの本格的な見直しを行う気配は感じられなかった。植田総裁の5年の任期の中では、最終的には金融緩和の枠組みの本格的な見直しは行われるものと見ておきたいが、いくつかの要因が、2%の物価目標の見直しや金融緩和の枠組みの本格的な見直しの時期を先送りさせているように思われる。
第1は、金融緩和の修正や2%の物価目標見直しに強く反対する意見が自民党内にあるという政治的要因だ。第2は、足元で賃金上昇率が上振れていることから、2%の物価目標の見直しとそれに続く金融緩和の枠組みの見直しを行う前に、賃金、物価の様子をしばらく見守るとの姿勢が日本銀行内に生じていることだ。第3に、3月の欧米での銀行不安や世界経済の下振れリスクが、早期の政策の見直しを慎重にさせていることだ。
YCCの変動幅拡大や撤廃といった柔軟化策と2%の物価目標の柔軟化は、今年中に実施される可能性を見ておきたいが、マイナス金利政策の終了など、本格的な金融緩和の枠組みの見直しは、来年後半以降になると考えられる。
さらに、世界経済が本格的な景気後退に陥り、銀行不安が再燃し、また円高リスクが顕著に高まる場合には、本格的な金融緩和の枠組みの見直しは2025年以降にまでずれ込む可能性も出てくるだろう。
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