株高は金融政策と関係ないか?
6月16日に開かれた日本銀行金融政策決定会合後の記者会見で植田総裁は、株価上昇と日本銀行の金融政策との関係を問われて、「異例の金融緩和は以前から変わりなく続けられている中で株価が顕著に上昇している点を踏まえると、足元の株高は金融政策の影響ではなく、先行きの経済、企業収益の改善期待によるもの」との説明をした。
確かに、植田体制となった後も日本銀行は、黒田体制のもとでの異例の金融政策を継続しており、政策姿勢に明確な変化はない。しかし金融政策が株式に与える影響は、期待と実際との乖離や海外の金融政策との相対感で決まる側面があるということが、この発言では見過ごされていないか。
昨年12月に日本銀行がイールドカーブ・コントロール(YCC)の変動幅拡大を決めた際には、今年4月の総裁交代後に金融政策の修正が一気に進む、との観測が金融市場に広がった。これが1ドル127円台までの円高進行と株価調整をもたらしたのである。
しかし、植田新体制が始まっても、金融緩和継続の姿勢が強調され、政策修正の観測は修正を迫られた。その結果、円安と株高が同時に進んだのである。金融政策が修正されなかったがゆえに株高が進んだ、と言えるだろう。
また、日本銀行は金融政策を変更していないが、他国では大幅な金融引き締めが進んでいる。そのため、他国の金融政策との相対感は変化している。米国では米連邦準備制度理事会(FRB)が先般の米連邦公開市場委員会(FOMC)で利上げの見送りを決めたが、なお追加利上げを実施する考えを示している。
こうした内外での金融政策の方向の差が、円安の進行と日本株高の背景にある。さらに、多くの主要国で進められる大幅な利上げが、経済や金融システムにいずれ大きな打撃をもたらすことが警戒される中、金融緩和を維持している日本ではそうした心配はないことから、日本株が相対的に安全資産として買われている面があるだろう。
「リフレ期待」醸成のリスク
このように、植田体制の下で金融政策を変更しないことが、円安進行とともに株高を強く促している面がある。加えて、足元で物価、賃金が上振れる中でも異例の金融緩和を続けることで、先行き円安も通じて物価高が促され、資産価格が高まっていくという「リフレ期待」も株高の背景にあるだろう。しかし、それには大きなリスクが伴う。
過去10年にわたる異例の金融緩和は、経済、物価には目立った影響を与えることはできなかった。他方で為替市場では円安傾向を促し、それを通じて株高を演出してきた面がある。つまり、異例の金融緩和は、金融市場の期待には一定程度の影響力を発揮してきたのである。植田体制の下、そうした傾向がさらに増幅されているのではないか。
「第2の柱」を思い出し柔軟な金融政策運営を
ただし、実体経済から乖離して進む円安や株高には、その乖離を一気に解消する形でいずれ大きな修正が生じ、その過程で、実体経済にかなりの打撃を与えることになる。為替市場、株式市場は日本銀行の直接的な政策目標ではないが、その動きに十分配慮しながら金融政策運営を進めていく必要がある。
80年代のバブル期には、円高や原油価格下落の影響などから物価の安定が維持されていた。そのため、日本銀行が過度な金融緩和を修正するタイミングが遅れて、バブルそしてバブル崩壊を防げなかった面がある。
この時の苦い経験から、日本銀行が、物価の安定を金融政策運営の「第1の柱」としつつも、資産価格の変動やそれが金融システムに与える影響にも十分配慮するという「第2の柱」を設定し、物価情勢以外にも目配りをした柔軟な政策運営を心掛けてきた。
ただしそうした姿勢は、過去10年間の異例の金融緩和の中では失われた感がある。2%の物価目標の達成のみ追求する、硬直的な「物価目標至上主義」に陥ったのである。
植田体制下の日本銀行は、「第2の柱」にも配慮した柔軟な金融政策運営方針を取り戻し、副作用の大きい異例の金融緩和の枠組みを見直す姿勢を金融市場にしっかりと伝えて欲しい。
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