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米国は安全保障第一の姿勢を堅持

イエレン米財務長官は、7日から9日に中国を訪問した。米国の財務長官の訪中は、バイデン政権発足後では初めてのことだ。7日には北京で、中国の李強(リー・チャン)首相と会談した。4日間の訪中について、「一定の前進があった。今後両国と世界に利益をもたらす健全な経済関係を築くことができると考えている」とイエレン財務長官は総括したが、政策面で具体的な進展はなかったとみられる。両国ともに「対話の重要性」を確認するに留まった感がある。

6月にはブリンケン国務長官が訪中したが、安全保障、外交面での両国間の対立を緩和するような成果はやはり得られなかった。

安全保障・外交、経済分野で中国封じ込め的な施策を進める米国に対して、中国との経済的な関係を重視する欧州諸国からは、やや距離を置く動きが目立っている。ブリンケン国務長官、イエレン米財務長官の相次ぐ訪中には、中国との対話を維持し、いたずらに対立を煽っているわけではない、という米国の姿勢を欧州など他の先進国にアピールする狙いもあるのではないか。

米財務省によると、イエレン財務長官は李首相に対して、「私たちは勝者総取りではなく、公正なルールで長期的に両国が利益を得られる健全な経済競争を求めている」と伝えたという。そのうえで、「米国は、状況によっては自国の安全保障のために的を絞った行動をとる必要がある」とも述べた。

経済面では両国の自由な競争を重視する姿勢を示す一方、自国の安全保障の安定確保のためには、政府が一定の介入を行うことを示唆し、安全保障第一の姿勢を滲ませている。

日本とオランダも米国の対中戦略に組み込まれる

貿易面で両国間の最大の課題となっているのが、先端半導体分野での対立だ。バイデン政権は昨年10月に、先端半導体や関連技術の対中輸出規制を大幅に強化し、また自国の製造装置メーカーにも厳しい制約を課した。そのうえで、半導体製造装置については、主要な生産国である日本やオランダに対して、対中輸出規制への同調を求めたのである。

今年1月に日本とオランダは、米国に同調して中国向けの先端半導体製造装置に輸出規制を課すことで合意した、とされた。実際、オランダ政府は6月30日に、先端半導体の製造装置の輸出管理を9月1日から強化すると発表した。日本政府も5月に経済産業省が省令を改正し、輸出管理の対象に高性能な半導体製造装置など23品目を加え、7月23日に施行すると発表している。

世界の半導体業界では製造工程の細分化・専門化が進んでいる。特に半導体製造の前工程では各段階の製造装置が米欧日の大手メーカーの独占状態になっている。この3か国が半導体製造装置の対中輸出規制で足並みを揃えると、中国の半導体製造に大きな打撃を与え得る。

中国政府は、海外依存度が高かった半導体の国産化を急速に進めている。強力な産業政策の計画である「中国製造2025」のもと、中国政府が半導体製造産業の振興に向け、メーカーに巨額の補助金を支給している。しかし、前工程の製造装置の国産化率は依然10%未満に留まっているという。

先端半導体の製造には、極端紫外線(EUV)露光システムが必要となる。オランダのASMLの同システムは回線幅7nm(ナノメートル)以下の先端プロセス技術に欠かせない装置であり、現時点ではASMLが世界唯一のサプライヤーだ。

EUV露光システムの入手が事実上不可能になると、中国は1世代前の深紫外線(DUV)露光システムを用いて14nm以下の半導体の製造を目指すことになるが、それに対応できる半導体製造装置のサプライヤーも、やはりASMLと日本のニコンの2社だけだという。

米国は、中国が先端半導体の製造で後れを取っている今のうちに、日本、オランダの半導体製造装置の輸出規制を通じて、中国の台頭を抑える戦略なのだろう。日本もそうした米国の対中戦略に深く組み込まれているのである。

米国はさらなる規制強化へ

バイデン政権は、さらに、人工知能(AI)向け半導体の輸出規制の強化を検討しているという。また、半導体などを念頭に、米企業による対中投資の制限をめざす大統領令も検討しているとされる。半導体分野での米国の対中規制強化はさらに強力に進められる方向だ。こうした施策は、イエレン財務長官の訪中に配慮して、控えられていた可能性がある。

これに対して、中国側の対抗措置も目立ってきている。5月には米半導体大手マイクロンの製品の調達禁止を発表した。また7月3日には、半導体の材料に使われるガリウムなどレアメタル関連品を8月から輸出規制の対象にすると明らかにした(コラム「 イエレン米財務長官の訪中直前に中国が打ち出した半導体原材料の輸出規制措置 」、2023年7月5日)。両国は、対話の必要性を確認しながらも、実際には半導体分野で激しくぶつかっているのである。テーブルの上では握手をしながらも、テーブルの下では蹴りあっている構図だ。

各国政府が自国民の安全確保を最優先するのは当然であるが、安全保障を盾に、経済面で優位に立つことを狙って、自由な競争を妨げることは望ましくない。それは、世界経済の発展の妨げとなる。両国の対立がいたずらに拡大しないように、政府の規制強化の正当性をしっかり検証することが、世界経済の健全な発展には重要だろう。

世界貿易機関(WTO)がその役割を十分に果たせないのであれば、日本など第3国が米中両国の間に立ち、そうした役割を果たすことが期待されるのではないか。それは、先進国も含め世界全体の利益となるだろう。

(参考資料)
「米中、半導体規制巡り対話、イエレン氏、李強首相と会談 主張に溝、成果」、2023年7月8日、日本経済新聞
「オランダ、半導体製造装置の輸出規制強化へ 中国は国産化急ぐも先端装置で打撃大」、2023年7月4日、36Kr Japan

 

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。