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日本銀行は、2013年1月~6月開催分の金融政策決定会合の議事録を2023年7月31日(月)8時50分に公表する。日本銀行は、会合から10年を経過した後に、半年分の議事録をまとめてホームページに掲載している。会合の議論の概要については、「主な意見」、「議事要旨」でも知ることはできるが、参加者の個々の発言を原則そのまま掲載する「議事録」は、より情報量が多く、当時の会合での議論の様子を生々しく再現する価値の高い資料だ。

今年1月末に公表された2012年7月~12月開催分の金融政策決定会合の議事録では、強い政治的圧力のもとで、日本銀行が長らく拒否してきた物価目標の導入を決めるに至った際の議論が明らかとなった。

今回公表される2013年1月~6月開催分の議事録は、日本銀行が2%の物価目標を正式に導入し、また、政府と日本銀行の共同声明を出した1月の会合、黒田総裁のもと「量的・質的金融緩和」の導入を決めた4月の会合と、近年では最も重要なイベントを含んだ半年分だ。

  1. 強い政治的圧力を、各政策委員はどのように受け止めていたか
  2. 長年拒み続けた2%の物価目標導入を政治的圧力のもとで受け入れざるを得なかった状況の下、政策委員はそれをどのように正当化する議論をしていたか
  3. 政府と日本銀行の共同声明で、日本銀行は2%の物価目標の達成を金融政策のみで短期間で達成することを約束したものと捉えていたのか
  4. 「量的・質的金融緩和」の導入は全会一致で決まったが、それが長期化してしまうリスクなど、どのようなリスクがあわせて議論されていたのか
  5. 「量的・質的金融緩和」の波及経路、政策効果について、どの程度精緻な議論がなされたのか

以上のような点に注目して、議事録を読み、異例の金融緩和がどのような経緯、議論で始まったのかを多くの人に検証してもらいたい。

筆者はこの間、審議委員として政策決定に関与していた。1月の2%の物価目標については、2%は高すぎて達成可能でなく、その水準が妥当であるとの根拠は乏しいことから、採決で反対した。「量的・質的金融緩和」は短期の政策として容認したが、達成が難しい2%の物価目標と紐づけて運営すると、終わりがなくなってしまうと考えた。そのため、「2%の物価目標を中長期の目標」とすること、「量的・質的金融緩和」が期待した効果を発揮しようがしまいが、長期化すれば副作用が大きくなってしまうことから、導入から「2年程度」で見直すとの主旨の提案を行った。

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。