&N 未来創発ラボ

野村総合研究所と
今を語り、未来をみつめるメディア

7月米雇用統計はミックスの内容

米労働省が8月4日に発表した7月分雇用統計は、雇用増加ペースの鈍化を確認させる一方、労働需給の逼迫が続くもとで賃金上昇率が高止まりしていることを示した。労働需給の緩和と賃金インフレ圧力の抑制に向けて、金融政策面での取り組みがなお必要であることを示唆する数字となった。

7月の雇用者増加数は前月比18.7万人増と、事前予想の20万人程度をわずかに下回った程度である。しかし、5月と6月の雇用者増加数は当初発表から合計で4万9,000人下方改定されたことを踏まえれば、雇用増加数は予想よりも弱かったと言える。

業種別にみると、レジャー・接客は1万7,000人増加したが、増加ペースは鈍化している。同セクターの雇用者数は新型コロナ問題前の水準を依然下回っている。製造業の雇用者は前月比2,000人減となった。新規雇用全体の先行指標となる人材派遣は2万2,000人の大幅減となり、先行きの雇用増加ペースの鈍化を示唆している。

他方、失業率は3.5%と前月の3.6%から予想外に低下し、約50年ぶりの低水準となった。米連邦準備制度理事会(FRB)は10-12月期の失業率を4.1%と予想しているが、失業率がその水準まで上昇して労働需給が緩和する可能性は低下した。賃金上昇率は前月比+0.4%と6月と同水準、前年比では4.4%上昇と前月と同水準となり、事前予想の+4.2%を上回った。

労働需給ひっ迫解消には雇用増加ペースをさらに下げる必要

7月の雇用者増加数は18.7万人、過去3か月間の雇用者増加数は月平均で21万8,000人と、前年同期の平均である43万4,000人と比べると大幅に減速している。また、この増加ペースは。新型コロナ問題が浮上する前の2015年から19年の平均である19万人程度に近い。雇用者増加ペースでみれば、ほぼ理想的な状況が達成できたと言えるだろう。

しかしそのもとで、失業率は50年超以来の低水準にあり、賃金上昇率も物価の安定回復には十分な水準まで低下していない。そのためFRBには、雇用増加のペースを安定的なペースよりも低下させ、労働需給を緩和させることがこの先求められる。その過程では、米国経済の成長ペースも下振れさせる必要がある。そうした局面に入ってきたのである。

しかし、労働生産性上昇率が高まれば、雇用増加ペースが下振れなくても、労働需給は緩和され、インフレ圧力は低下していく。米労働省が3日に発表した4-6月期の非農業部門の労働生産性(速報値)は前期比年率3.7%上昇した。これは事前予想の2.0%程度の上昇を上回った。ただし、前期は1.2%低下したことや振れの大きい統計である点を踏まえれば、労働生産性上昇率のトレンドが高まっている証拠とは言えないだろう。

リモートワークの生産性への影響について従業員と会社側で認識に違い

米国では、リモートワークが定着していることが、従来と比べて労働生産性の改善を妨げている、との指摘もある。

スタンフォード大学のニコラス・ブルーム教授ら3氏は、リモートワークによって労働生産性が低下しているとしている。ただし、生産性の低下は、週に数日ではなく完全にリモートワークを行う人に限られるという。

リモートワークの場合には、他の従業員とのコミュニケーションに手間と時間がかかるほか、社会的交流やフィードバックが減少すると、創造性や学習能力が低下することが生産性を下げる原因だとしている。

ところで、従業員は自分の生産性がリモートワークでは7.4%高いと考えている一方、会社の上司はその逆で、リモートワークの場合は従業員の生産性が3.5%低いと考えている。両者の間で認識の開きは大きい。

ブルーム教授らの分析が正しいとすれば、景気情勢が先行き悪化し、従業員が好むリモートワークに寛容でなくなれば、労働生産性が向上することになるだろう。

日本での長期国債利回り上昇は一服か

今回の雇用統計は、強弱まちまちとなったが、米国債券市場では2年債の利回りが前日比0.11%低下し4.77%、10年債の利回りは前日比0.14%低下し4.03%で4日の取引を終えた。雇用増加が予想比下振れたことで、FRBが9月の米連邦公開市場委員会(FOMC)で追加利上げを実施するとの見方がやや後退した、あるいはそれを含めて先行きの利上げ観測が後退したことが背景だ。ドル円レートも1ドル142円台から141円台とドル安・円高に振れた。

イールドカーブ・コントロール(YCC)の柔軟化実施以来、日本の長期国債利回りは上昇傾向にあるが、米国で長期国債利回りが低下したことから、週明けの日本の市場では、長期国債利回りの上昇は一服し、日本銀行は一息つく形となるだろう。

ただし、今回の雇用統計は、9月のFOMCでの利上げ見送りの決定打となることはなく、FRBは引き続き今後の経済指標を見ながら最終的な判断を固めるだろう。他方、9月の利上げが実施されようと見送られようと、その後の追加利上げ観測はなお残る形となるだろう。日本の市場も含め、金融市場に大きな影響を与えるのは、FRBの近い将来の利下げ観測が強まる時であり、そこまではなお距離がある。

(参考資料)
"Workers to Employers: We're Just Not That Into You(米労働者「そこまで働きたくない」 生産性に影)", Wall Street Journal, August 4, 2023

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。