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中国経済への懸念を示す植田総裁

米カンザスシティ連銀主催の国際経済シンポジウム「ジャクソンホール会議」が、24日から26日の日程で開催された。今年のテーマは「世界経済の構造変化(Structural Shifts in the Global Economy)」だった。最終日の26日には「転換点にあるグローバリゼーション(Globalization at an Inflection Point)」と題するパネルが開かれ、日本銀行の植田総裁も参加した。

公表されている講演資料と報道によると植田総裁は、アジア地域の経済統合の進展や日本の貿易、直接投資の構造変化について説明した模様だ。地政学リスクの高まりを反映して、日本企業は中国から他国あるいは日本に生産拠点を移す動きを強めている。円安進行の後押しもあり、生産の国内回帰の傾向が強まっているのである。

生産の国内回帰は、設備投資の増加や雇用増加などを通じて、日本経済にはプラスとなる。ただし、地政学リスクや経済安全保障の観点から進む国内回帰は、生産コストを高め、生産の効率性や価格押し上げにつながる点もある。こうした国内回帰の懸念点についても、植田総裁は指摘した模様だ。

さらに植田総裁は、中国の最近の景気減速は「失望を誘うもの」だとし、「根本的な問題は不動産セクターの調整と経済全般への波及だと思われる」との見解を示したという。最近の発言からも、中国を中心とする海外経済の下方リスクを植田総裁は重視する姿勢がうかがわれる。この点は、日本銀行に、政策修正の実施を当面慎重にさせる要因となるだろう。

2%の物価目標達成は難しく、当面、政策修正は期待できない

前日のパウエル議長の講演を受けて、外国為替市場では一時146円台後半までドル高円安が進んだが、植田総裁は為替市場についてはコメントしなかった。他方、植田総裁はパネルの中で、日本の金融政策について説明している。

日本銀行は先月、イールドカーブ・コントロール(YCC)の運営の柔軟化を決めたが、これは政策の正常化とは異なるもので、金融緩和の枠組みは維持されている、と日本銀行は説明している。

パネルの中で植田総裁は、足元の物価は3%を超えているが、「基調的インフレは依然として目標の2%を若干下回っていると、われわれは考えている。日銀が現行の金融緩和の枠組みを堅持しているのは、それが理由だ」と述べたという。

8月の東京都区部のコアCPI(消費者物価)は前年比で11か月ぶりに3%を下回った。来年年初には日本銀行の物価目標である2%を一時的に下回る可能性も見込まれる。2%の物価目標の達成は、短期的には見通せないというのが日本銀行のメインシナリオである。

こうした中、2%の物価目標達成が前提と日本銀行が説明する、金融政策の正常化、本格的な政策修正の実施は見えてこない。先般の施策により様々な問題を抱えるYCCの柔軟化も相応に進み、10年利回りが1%に接近しない限り、追加の柔軟化措置も実施されないだろう。さらに、中国を中心に海外経済に下振れリスクがある中、日本銀行は当面、政策修正を実施しない可能性が高い。

それでもいずれは、2%の物価目標達成に向けた金融緩和継続の妨げとなる副作用を軽減するとの名目で、日本銀行はマイナス金利解除など本格的な政策修正(金融緩和の枠組み見直し)に踏み切るものと予想する。ただしその時期は、早くても2024年後半となるのではないか。

(参考資料)
「生産拠点の脱・中国、世界経済に不確実性 日銀総裁指摘」、2023年8月27日、日本経済新聞電子版
"BOJ Chief Says Strategy Backed by Below-Target Inflation (日銀の植田総裁、緩和継続は目標下回るインフレが理由-討論会)", Bloomberg, August 27, 2023

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。