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堅調な雇用情勢に変調も急速に冷え込んでいる訳ではない

米労働省が9月1日に発表した8月分雇用統計は、労働市場の過熱が緩和方向にあることを改めて裏付ける内容となった。他方、労働市場が急速に冷え込んでいるとの証拠もまだ見られていない。

8月の非農業雇用者増加数は前月比18万7,000人増加した。増加幅は、過去12か月の平均値である27万1,000人を大きく下回り、また3か月移動平均は15万人増と、コロナショック後の2020年3月以降で最低となった。

事前予想の平均である約17万人増加を若干上回ったものの、6月分と7月分の増加数が合計で11万人下方修正されたことを踏まえると、雇用者増加数は全体として事前予想を下回ったと言える。

ただし、8月分雇用統計は一時的、技術的な要因によってかく乱されており、数字の評価が難しい点もある。

米国の映画製作の中心地であるハリウッドでは、俳優ら16万人が加盟する組合などがストライキを行っている。また、8月上旬にはトラック物流大手のイエロー・コーポレーションの破綻によって、約3万人が失業したことが、8月の数字に影響を与えている。

さらに、8月の雇用増加数は速報段階では下振れ、その後、9月、10月分の数字が発表される中で上方修正される傾向がある点も指摘されている。

他方、米労働省が発表した8月雇用ディフュージョン・インデックス(DI)は63.8と、前月の56.8から上昇した。指数が50を上回ると、雇用を増加させた業種が削減した業種を上回っていることを示す。

8月雇用統計では、雇用全体の先行指標ともなる人材派遣が1.9万人減と、減少が続いていることや、7月の企業の求人件数が882万7,000件とピークの7割程度にまで減少しているなどを踏まえると、米国の堅調な雇用情勢が変調を来している可能性は高いが、それでも急速に冷え込んでいることを示す明確な材料はまだない。

労働供給正常化でひっ迫緩和へ

他方、8月雇用統計で、賃金上昇率は事前予想を下回った。時間当たり賃金は前月比+0.2%と前月の同+0.4%を下回り、2022年2月以来の低い上昇率となった。前年同月比も前月の+4.4%から8月は+4.3%に一段と低下した。

賃金上昇率の低下の背景にあるのは、労働需給ひっ迫の緩和である。失業率は3.8%と7月の3.5%から予想外の大幅上昇となった。2022年2月以来の高さである。

失業率の上昇は、失業者の増加ではなく、労働参加率の上昇によってもたらされたものだ。失業率の算出に用いられる家計調査で、就業者数は前月比で22.2万人増加したが、労働市場への新規参入が73.6万人と大幅に増加したため、失業者が増えて失業率が上昇した。労働参加率(労働力人口(就業者+求職者)÷16歳以上人口)は62.8%と、前月の62.6%から上昇し、2020年2月以来の高水準となった。

コロナ問題を受けて、労働市場から一時的に退出していた労働者が労働市場に戻るという正常化がかなり進んできており、その結果、労働需給のひっ迫は緩和、それを映して賃金上昇率は低下する方向にある。

利上げ打ち止め観測が強まる

今回の雇用統計はミックスな内容ではあったが、これを受けて金融市場では追加利上げ観測が一段と後退している。それによって1日の米国市場では、一時、ドル円レートは1ドル144円台まで円が買い戻された。

雇用統計を受けたFF金先市場は、9月の次回米連邦公開市場委員会(FOMC)で政策金利が据え置かれる可能性を9割以上の確率で織り込んでいる。他方、11月のFOMCで追加利上げが実施される可能性は4割以下の確率である。現時点では、米国の利上げ局面は終わったとの見方が有力となってきている。

ただし、今後の物価指標などによっては、年内利上げ観測が再浮上する余地は残されている。足もとでは原油価格が再び上振れるなどの懸念材料も出てきている。それでも、利上げ局面が最終段階にあるとの見方が揺らぐことはないだろう。その結果、長期金利の上昇と円安ドル高の余地は限られたものとなるだろう。

他方、長期金利の顕著な下落や円高ドル安進行の余地は大きい。それらを促すのは、来年以降に予想されている利下げがかなり本格的なものになるとの見方である。これについては、物価指標と比べてより先行性がある経済指標の今後の行方が重要となるだろう。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。