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中国政府は金融市場が期待する積極経済対策になお慎重

中国の不動産不況の長期化、経済の減速、株価下落などを受けて、中国政府は散発的に経済対策を打ち出してきている。しかしそれらは、金融市場が期待するよりも消極的な水準に留まっており、失望感も生じている。

積極的な経済対策を阻む要因もいくつか考えられる。第1は、従来の大型経済対策で大きな役割を担ってきた地方政府は、現在、過剰債務問題を抱えており、財政支出の拡大が制約されていることだ。地方政府の歳入を支える土地売却収入が、不動産価格の下落によって大幅に減少していることも逆風となっている。

第2に、住宅市場の支援など狙った金融緩和は実施されているが、なお緩やかなものに留まっている。為替市場で人民元安圧力が高まる中、大幅な金融緩和は通貨の安定を損ねかねない。

第3に、政府は不動産業者によって住宅価格が不当に高く吊り上げられており、現状はそれが正常化に向かう過程と捉えている。不動産市場の調整を一定程度容認しているのである。

それ以外に、習近平国家主席の経済政策に対する信念、イデオロギーも、積極経済対策実施の障害となっている。

個人消費主導の成長モデルを志向していない

金融市場は中国政府による積極的な経済対策の実施を、強く期待している。とりわけ、個人消費の喚起策を期待している。コロナ禍で多くの国では、特別な給付を消費者に対して実施した。同様な施策を中国政府に期待する向きが多い。世界銀行によると、中国の個人消費のGDP比率は38%前後であり、米国の約68%などと比べてかなり低い。個人消費に拡大余地があり、個人消費が中国経済の新たな成長の原動力になり得るとの見方もある。

しかし、習近平国家主席は、個人消費主導の成長モデルを志向していない。「中国製造2025」に代表されるように、中国を世界有数の産業・技術大国に育てるというのが同氏の経済政策の最大の目標であり、個人消費の支援策は、浪費に使われてしまうという懐疑心が強いようだ。

習近平国家主席は、共産党中央委員会機関紙「求是」に掲載された8月16日付の演説で、欧米流の景気刺激策を避ける政府の意向を明らかにしている。国民に「忍耐」を促す一方、欧米の成長モデルに追随することは避けるべきだと強調している。

学習時報の8月16日付の記事には、「投資は短期的な需要を生み出すだけでなく、成長の真の原動力となる」と書かれており、消費主導ではなく投資主導の成長モデルの利点を強調している。

中国政府の経済政策が手遅れとなってしまうリスクも

中国では、未成熟な社会保障制度が個人消費の増加を妨げ、高い個人貯蓄率を生み出している、と長く指摘されてきた。シンガポール国立大学東アジア研究所のバート・ホフマン所長によると、中国の家計が社会保障制度から受け取る給付金はGDPの7%に過ぎず、米国や欧州連合(EU)の約3分の1に留まるという。しかし、人々が貯蓄を減らし消費を増やすことを促すような社会保障制度の充実策、例えば医療給付や失業手当ての拡大などに当局は慎重である。

習近平国家は、今までの演説や著作の中で、中国は外国への依存を減らすことに注力すべきだと説き、消費促進のために政府が家計を過剰に支えることはリスクが高いと警告してきた。

他方で政府が重視する投資については、例えば道路や工場などへの公共インフラ投資の乗数効果は低下してきており、景気刺激効果は低減しているとみられる。

今後不動産市場の低迷、経済の低迷が長期化する中では、中国政府は最終的には、不動産市場や個人に対する強い支援策に踏み切る可能性があるが、それまでにはなお時間がかかりそうだ。その間に、中国での成長期待と潜在成長率は大きく低下し、バブル崩壊後の日本経済の長期低迷と似た道を歩むことを回避するには手遅れとなってしまう可能性があるだろう。

(参考資料)
"Communist Party Priorities Complicate Plans to Revive China's Economy(中国経済再生を阻むイデオロギー)", August 31, 2023,Wall Street Journal

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。