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岸田政権の経済政策は良い方向に転換

10月4日に、岸田政権は発足から2年を迎えた。この間、物価高騰の逆風に見舞われながらも、経済環境全般を見れば比較的安定した状況にあり、それが政権を支えてきた面があると言える。この間は、コロナショックの影響が薄れてきたことが、日本経済そして世界経済に安定をもたらしてきた。

この2年間の岸田政権の経済政策を振り返ってみよう。政権が当初に掲げた「新しい資本主義」は、その具体的な内容がなかなか固まらず、経済政策はスタート時点でもたついた感があった。「分配と成長の好循環」も標榜されたが、実際には分配政策が重視されるリベラル色(左派色)の強い考え方であった。

賃金の長期低迷の要因は、分配の問題よりも低成長にあることを踏まえると、分配よりも成長促進の政策を重視すべきだった。また政権発足当初は、株式市場に逆風ともなる、金融所得課税の見直しが検討されており、株式市場をやや敵に回すかのようなスタンスであった。

ところが、2022年春頃から、岸田政権の経済政策は成長重視に大きく軌道修正されていく。これは望ましいことであった。「資産所得倍増計画」が掲げられ、政府が長く維持してきた「貯蓄から投資」の方針が、改めて確認された。そのもとで新NISA制度が形作られたのである。

その延長線で、現在では資産運用会社とアセットオーナーの改革が進められている。個人の資金を株式市場に呼び込み、企業はそれを設備投資に回すことで成長する。その成長の果実を個人は配当、株価上昇として受け取り、それが個人消費を拡大させて企業に恩恵が及んでいく。株式市場を通じてこうした好循環を目指すことは正しい。

ただし、経済・企業の成長期待、収益増加期待が高まらない中では、個人資金は株式市場にそれほど積極的には資金を回さないだろうし、企業も設備投資を積極化させない。「貯蓄から投資」を好循環につなげるためには、合わせて、成長戦略を推進することを通じて、企業、個人の成長期待を高めることが必要となる。

「歳出3兄弟」で財源確保に課題

その後、岸田政権の経済・財政政策の軸足は、大規模な歳出増加を伴う、いわゆる「歳出3兄弟」へと移る。それは、防衛費増額、GX投資、少子化対策の3つである。これら政策は、いずれも総論で賛成が得られやすいため、比較的容易に歳出拡大が固まっていった。

5年間で43兆円を計画する防衛費、年間3兆円台半ばの少子化対策、10年間で20兆円のGX投資を合計すると、この先、年間10兆円規模での歳出上積みとなる。

ところが、歳出が大幅に上積みされる一方、財源確保の議論が紛糾している。防衛費を巡っては2022年末に、首相が主導して年1兆円の防衛増税を決めたが、党内の反発を受けて現在も決着できずにいる。少子化対策の財源の議論については、具体的にはまだ始まっていない。GX投資はつなぎ国債(GX経済移行債)で当面は賄われ、その後にカーボンプライシングの手法で企業から徴収される資金が充てられる。しかし、つなぎ国債の償還に十分な資金が確保できるかどうかは不確実だ。

このように、「歳出3兄弟」の大幅な歳出拡大は固まったが、財源確保はできていない。岸田首相が想定する財源確保については、自民党内の保守派の反対にあってなかなか前に進められない状況だ。岸田首相の政権基盤の弱さが、政策推進力を削いでしまっているのである。

岸田首相がこうした状況を打破するには、今後の国政選挙で勝利を重ね、さらに現在低迷している国民の支持率を回復させることが必要だ。それにはなお時間がかかるだろう。

「歳出3兄弟」の財源議論がまとまらなければ、なし崩し的に新規国債発行で歳出が賄わることになるだろう。それは一段の財政環境の悪化と将来の世代の負担増加、将来需要の減少観測による成長期待の低下、経済の潜在力の低下につながってしまう。

3期目は成長戦略の一段の推進に期待

3期目に入った岸田政権の経済政策面での課題は、引き続きこの「歳出3兄弟」の財源確保に務め、財政健全化の姿勢を堅持することだ。それと並行して、多くの成長戦略を強く推進していくことが望まれる。

少子化対策も重要な成長戦略の一つではあるが、既に決まった児童手当の拡充策を中心とする施策だけでは、出生率の顕著な向上にはつながらないのではないか。女性の育児と仕事の両立、男性の育児参加の拡大など、幅広い観点からの少子化対策の推進が依然として求められる。

10月中にまとめられる経済対策の中で岸田政権が掲げている、構造的賃上げとそれを実現するための三位一体の労働市場改革には期待したい。リスキリングを通じた労働者の技能向上と転職の活性化が組み合わされれば、前向きの産業構造の転換と経済全体の生産性向上を促す効果が発揮されると期待される。さらに、労働者の技能向上を賃金上昇につなげるためには、日本型職務給制度の拡大が必要となる。

ただし、三位一体の労働市場改革が労働生産性向上と賃金上昇に結び付くまでには、時間を要することから、並行して、その他の成長戦略を推進していくことが望まれる。

先般政府が示した「年収の壁」対策は、労働供給を拡大し、経済の成長力、潜在力を高める観点から重要だ。しかし、企業への補助金などは一時的な対策でしかなく、女性の労働参加を妨げている「第3号被保険者制度」の抜本的な見直しが先行き必要となる(コラム「 『106万円の壁』問題解決に助成金制度を10月に導入へ:抜本的な対応は第3号被保険者制度の見直し 」、2023年8月18日)。

インバウンド需要と外国人労働力の活用拡大

現在急速に回復しているインバウンド需要の持続性を高め、企業の投資を誘発させることも、経済の潜在力向上につながる重要な成長戦略の一つである。そのためには、外国人観光客を地方へと誘導していき、宿泊先不足など都市部でのボトルネックを緩和させることが求められる。

また、地方でのインバウンド需要の拡大は、地方に新たな需要を作り出し、地方経済の活性化策ともなる。その結果、企業、労働力が都市部から地方へと移動し、地方で有効に使われていないインフラを活用するようになることで、日本全体の生産性向上にもつながる。

外国人労働者の受け入れ拡大も、重要な成長戦略だろう。外国人の在留資格である特定技能2号の対象を広げることで、政府は外国人労働力の受け入れ拡大に既に動いている。また、長期滞在と家族呼び寄せも可能となる。これは、日本の移民政策の事実上の修正と言えるのではないか。それは、労働力不足の緩和、将来にわたる労働力の拡大、出生率の改善、消費の増加などを通じて、潜在成長率の上昇に貢献するだろう。

ただし自民党内の保守派には、移民政策の修正につながる外国人労働者の受け入れ拡大に強い抵抗がある。そうしたもと、日本人と外国人の共生といった社会的課題を解決しつつ、外国人労働力の受け入れをさらに拡大し、潜在成長率の向上につなげていくことができるかどうか、岸田政権の政策手腕が試される。

成長戦略こそが持続的な賃金上昇の近道に

賃金の引き上げは、政権発足当初から、経済面での最大の課題と言える。今年は予想外に名目賃金が上昇したが、物価上昇分を差し引いた実質賃金はなお下落を続けている。物価高騰を受けて企業は賃金を引き上げたが、物価上昇に見合ったペースで賃金を引き上げることはないだろう。その結果、実質賃金の低下はなお長く続いてしまうことが考えられる。

実質賃金を上昇させ、個人消費の拡大を促すためには、労働生産性を向上させることが必要である。それは、政府の成長戦略などを受けて企業の中長期の成長期待が高まり、設備投資を拡大させることで実現される。

実質賃金を引き上げ、個人の生活環境を改善させるには、企業に賃上げを直接促すよりも、様々な成長戦略を並行して推進することで労働生産性を高めることが近道である。それこそが、岸田政権の構造的賃上げの基本的な考え方である。

深刻な人手不足のもと、企業が賃上げに積極な姿勢に転じたとの楽観的な見方も強まっている。しかし、物価高騰に促された高い賃上げは持続的ではないだろう。そうした過度に楽観的な期待のもと、来年の春闘での企業の賃上げを漫然と見守るようなことは、時間の浪費である。

3期目に入った岸田政権は、企業の賃上げ姿勢の積極化を期待して待つのではなく、成長戦略を加速させることで実質賃金の上昇を強く促していく政策姿勢が望まれる。それを通じて実質賃金が持続的に上昇するような環境が見えてくれば、政治基盤もより安定し、長期政権の道も見えてくるのではないか。

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。