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イスラエルの良好な経済環境は一変

パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスとイスラエルとの戦闘が続いている。そうした中、世界の目は、ガザ地区の住民の生活環境の悪化に注がれている。

他方で、今後の戦闘を占う観点から、戦闘開始後に急速に進むイスラエル経済の悪化も、また注目を集めるところとなっている。イスラエルのガザ地区での戦闘による民間人の被害に対する国際世論の批判の高まりととともに、イスラエル経済の悪化、イスラエル国民の生活環境への不満が、イスラエルの軍事活動に先行き歯止めをかける可能性もあるからだ。

戦闘開始前のイスラエル経済は、かなり良好な状況だった。2022年の実質GDP成長率は+6.5%と高水準、失業率は3.8%と低水準にあった。2023年7-9月期の実質GDP成長率も前期比+2.8%増と堅調だった。

しかしそうした良好な経済環境は、· 10月7日のハマスによるイスラエルへの攻撃、その後のイスラエルによるガザ地区への攻撃を受けて一変した。戦争継続やテロへの不安などから、イスラエル国民の間には個人消費を控える動きが広まった。また、海外からの観光客が激減し、観光業の収入が大きな打撃を受けた。2023年10-12月期の実質GDPは前期比でマイナスが見込まれる。

財政環境の急速な悪化と海外のユダヤ人向けに国債を発行

企業や個人に対する経済的打撃を和らげるため、政府は民間への支援策を始めた。これが、軍事活動とともに先行きの財政環境悪化の懸念を強め、格付機関による格下げ観測も浮上している。

イスラエル経済紙カルカリストによると、財務省は戦闘が8か月から1年続く場合に、戦費は2千億シェケル(約7兆7千億円)に上ると試算した。これはGDPの約10%に相当する規模だが、それは戦闘がガザに限定されることが前提であり、戦闘地域が拡大する場合には、財政赤字はもっと拡大することになるだろう。

イスラエル政府は、戦費などを賄うため、主に国外に住むユダヤ人を対象に戦時国債のようなものを発行した。「イスラエル開発公社」は10月10日に、主に国外に住むユダヤ人を対象に「ディアスポラ(離散)債」の販売を始めた。ユダヤ人が多く住む米国を中心にその購入希望が殺到し、数日のうちに約2億ドル(300億円)を調達したという。

経済、財政の悪化や国債の格下げ懸念からイスラエルの通貨シェケルは急落した。一時は2015年以来の安値となる1ドル=約4シェケルまで下落した。これに対してイスラエルの中央銀行は、外貨準備高の15%に当たる最大300億ドルを投入して、通貨シェケルを買い支える為替介入に動いたのである。通貨下落は物価高を助長し、イスラエル国民の生活をさらに圧迫する。

過去最多となる予備役36万人動員で労働力不足も深刻に

そしてイスラエル経済に大きな打撃となっているのが、労働力不足である。イスラエル政府は、過去最多となる予備役36万人を動員した。イノベーション庁によると、ハイテク業界では労働力の推計10~15%が予備役として招集され、経済活動に大きな制約が生じている。

また紛争の影響でガザ地区からイスラエルへのパレスチナ人労働者数千人の移動が止まり、ヨルダン川西岸地区からの流れも細っていることも、イスラエルの労働力不足をより深刻にしている。

こうした経済環境の急速な悪化を受けて、イスラエル中銀は10月下旬に、当初+3%としていた2023年の実質GDP成長見通しを+2.3%に引き下げた。他方S&Pはもっと悲観的であり、成長率は2023年に+1.5%、2024年に+0.5%と予測している。

ウクライナ侵攻後のロシアの経済情勢との比較

軍事活動開始とともに、通貨安による物価高、深刻な労働力不足などが生じているイスラエル経済の現状は、ウクライナ侵攻後のロシア経済に似ている面がある。

ロシアでは2022年に20万人超の予備役が部分的動員された。これは1億4,645万人(2023年1月)のロシアの人口の0.14%であるが、人口950万人(2022年)のイスラエルで動員された予備役36万人は、全人口の3.8%に相当し、ロシアと比べても経済活動に与える打撃は格段に大きい。

ロシアがウクライナ侵攻後に先進国から経済制裁を受けていることや、西側企業がロシアでのビジネスを停止あるいは撤退している点は、イスラエルには当てはまらないが、短期的な経済への打撃はイスラエルの方が大きそうだ。

親イスラエルの米国の強い後ろ盾がある点も、ロシアとは異なり、戦争長期化で経済が疲弊する場合でも、イスラエルは米国からの支援を受けられるだろう。しかし、イスラエルのガザ地区での軍事活動に対する国際的な批判がさらに高まれば、米国も積極的なイスラエル支援に慎重になる可能性がある。

こうした点を踏まえると、イスラエルによるガザ地区での軍事行動に対する国際世論の批判に加えて、イスラエル経済の悪化を受けたイスラエル国民の厭戦機運の高まりが、ガザ地区でのイスラエルの軍事行動を制限することになる可能性もあるだろう。こうした観点から、イスラエルの今後の経済動向には注目しておきたい。

(参考資料)
「焦点:イスラエル経済への打撃深刻、予備役招集や消費低迷で」、2023年10月25日、ロイター通信
「イスラエル経済、10-12月期はマイナス成長か」、2023年11月17日、ダウ・ジョーンズ新興市場・欧州関連ニュース
「戦争長期化 経済に暗雲 イスラエル 予備役動員 労働力不足 ユダヤ人向け臨時債券 ハマス戦闘」、2023年11月18日、中国新聞セレクト

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。