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大統領選挙に向け国民へのアピールを進めるプーチン大統領

ロシアのプーチン大統領は14日に、例年は別の時期に開いていた国民との直接対話と大規模な記者会見を同時に実施した。ウクライナでの戦況が思わしくなかった昨年は、ともに実施を避けた。しかし今年は、戦況が1年前よりもロシアにとって改善していることと、2024年3月の大統領選挙への出馬を表明したプーチン大統領の選挙キャンペーンの一環として実施を決めた。

民間世論調査会社レバダセンターによると、プーチン大統領の支持率は今年11月時点で85%である。ウクライナ侵攻後はおおむね8割台の支持率を維持している。大統領選ではプーチン大統領の再選はほぼ確実な情勢であるが、8割超の絶対的な支持の得票を目指しているとされる。

プーチン大統領に対する国民の支持率は高水準を維持しているが、国民の間でウクライナ侵攻に関する不満は依然少なくない。特に国民が警戒しているのが、昨年実施された30万人の部分動員に続いて、再動員や徴兵が行われることだ。昨年秋に発令した部分動員令では、海外に逃避する国民が相次ぎ、労働力不足なども生じさせた。約70万人の男性が国外に脱出したと報じられた。

プーチン大統領は今回、それを強く否定する説明をしている。ウクライナでの前線は膠着しており、ウクライナ軍の反攻によってロシア兵士の損耗も指摘されている。しかしプーチン大統領はウクライナの戦闘地域で62万人の兵力を展開しているとした。2023年に48万6,000人の志願兵と契約したとも説明し、「現時点では追加の動員は必要ない」と述べた。

また、ウクライナ側がクリミア半島奪還を狙ってドニエプル川の渡河作戦を本格化したとされる南部ヘルソン州については、ロシア側支配地域の東岸に上陸してウクライナ軍が前進したのはわずか1.2キロ程度に過ぎず問題ない、と説明した。

軍需経済化が進み国民生活は悪化

さらに、2023年の実質GDP成長率は、2022年のマイナスからプラスに転じ、+3.5%になるとの見通しを示した。1年前に先進国が導入したロシア産原油の輸出価格上限設定という制裁措置は、当初はロシア産原油収入を大幅に減少させ、ロシアの輸出、財政収入にかなりの打撃を与えた。しかしその後は、ロシアは抜け道の輸出ルートを拡大させ、原油輸出の収入を回復させた。さらに今年夏場には、世界的に原油価格が上昇したことも、ロシア経済や財政の追い風となったのである。

しかし、足もとでは世界経済の減速観測を映して、世界の原油価格は低下に転じ、ロシアの原油輸出収入も減少している。国際エネルギー機関(IEA)によると、ロシアの原油と石油製品も含めた輸出収入は、2023年1~11月の月平均で152億ドルと、前年同期比で22%減少した。

ロシアの成長率は今年持ち直したが、それは軍需経済化が進んだ結果であり、必ずしも健全な経済成長とはいえないだろう。今年は、対外収支や財政収支の悪化を映して、ロシア通貨ルーブルの下落が目立った。ルーブルは10月に、心理的な節目である1ドル=100ルーブルを一時割り込んだ。ルーブル安は物価高を生じさせ、国民生活を圧迫する。11月の消費者物価指数は前年比で7.5%の上昇と、9か月ぶりの高水準を記録した。

さらに、ルーブルの防衛のために、中央銀行は政策金利の引き上げを進めたが、これは国内経済には逆風である。さらに政府も、国内の輸出業者に対し取引で得た米ドルなど外貨を国内でルーブルに替えることを義務付ける措置を再び導入することに追い込まれた。

このように、表面的にはロシア経済は持ち直したように見えるが、実態は軍需経済色が強く、必ずしも健全ではない形の成長である。さらに、労働力不足、物価高、金利上昇など、民間経済の活動の逆風は一層強まる方向にある。今後国民生活が圧迫されていけば、戦争を継続する政府に対する不満がにわかに高まるリスクがあることは、来年も変わらないだろう。

(参考資料)
「プーチン氏、国民に内政安定を強調 直接対話で言及」、2023年12月15日、日本経済新聞電子版
「プーチン氏「欧米支援、枯渇しつつある」 ウクライナ侵攻後初の国民対話 戦果を誇示」、2023年12月15日、日本経済新聞
「ロシア石油収入2割減どまり 制裁発動1年、効果道半ば」、2023年12月14日、日本経済新聞電子版
「反転攻勢「成果なし」と強調―ロシア大統領、勝利に自信」、2023年12月15日、共同通信ニュース
「ウクライナ侵攻:ウクライナ侵攻 プーチン氏、継戦明言 2年ぶり大規模会見」、2023年12月15日、毎日新聞

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。