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2兆円買収に残されるハードル

日本製鉄は12月18日に、米鉄鋼大手のUSスチールを2024年にも約2兆円で買収すると発表した。米国規制当局の審査、USスチールの株主総会での承認、労働組合との交渉という3つのハードルがこの先に残されており、予定通りに買収が実現するかどうかはまだ分からない。

USスチールの従業員を含む約120万人が加盟する大手労組の全米鉄鋼労働組合(USW)は同日に、日本製鉄による米鉄鋼大手USスチールの買収に反対する声明を発表し、米国の規制当局に買収を慎重に審査するよう求めた。

日本製鉄はUSスチール株を1株55ドル(7,810円)で全株取得し、完全子会社にする。発表前日の終値の株価が39.28ドルであったことから、約4割の高いプレミアムを払うことになる。その財務への負担などから、19日の東京市場で日本製鉄の株価は一時6%下落した。

日米鉄鋼摩擦の長い歴史

USスチールには、日本の鉄鋼メーカーが長年苦しめられた歴史がある。1950年代、60年代に、米国の鉄鋼メーカーは値上げと賃上げを進める中で国際競争力を次第に失っていった。それが鉄鋼の輸入品の増加を招いたのである。

それを受けて米国の鉄鋼メーカーはロビー活動を活発に展開し、1970年代のカーター政権時代には、「トリガー価格制度」が導入された。これは、輸入鉄鋼製品の価格が一定の基準価格(トリガー価格)を下回る場合には、米国政府がダンピング調査を開始するというものだ。事実上、日本を狙い撃ちする措置だった。

このように、米国の鉄鋼メーカーは、ロビー活動を通じて輸入品の増加を抑える保護主義的な政策を政府に促す一方、自ら国際競争力を高めるような構造改革を怠ってきたとされる。そうしたメーカーの典型例がUSスチールとされている。

米国市場に自社製品が浸透することを妨げた、かつての敵とも言えるUSスチールを、日本製鉄は買収しようとしている。いわば、敵の懐に飛び込むような戦略にも見える。

中国製品除外の動きで日本企業の米国市場へのアクセスも妨げられる

米国の鉄鋼メーカーは、今は中国からの安い鉄鋼の輸入を警戒しており、それが2018年の25%の鉄鋼関税が導入され、日本にも適用された。

このように、米国が中国に対して保護主義的な姿勢を強める中、友好国である日本の企業も、米国市場へのアクセスが制限されている。例えば、EVについては、米政府は中国のEVを米国市場から事実上締め出す措置を今まで講じてきた(コラム「 米政府がEV製造サプライチェーンの中国依存低下を狙って新指針 」、2023年12月8日)。トランプ前大統領は、中国の自動車に25%の輸入関税を課した。さらにバイデン大統領はこの政策を支持したうえで、EV購入時の最大7,500ドルの税控除を中国車が受けられないようにする、などの追加策を講じた。さらにバイデン米政権は今年12月1日に、今年発効した1台当たり最大7,500ドル(約110万円)の電気自動車(EV)購入者への税控除措置について、中国の関連企業などが生産した電池部品、重要鉱物を使用する車種を、2024年から段階的に対象から除外する指針を発表した。2024年からバッテリー部品、2025年からニッケルやリチウムなどの重要鉱物が適用対象となる。そうなれば、中国の需要鉱物を利用して生産する日本企業のEVは、仮に米国内で製造しても米国市場で税控除を受けられず、競争力を失ってしまう。

日本企業が米国市場の成長を取り込む手段として先駆けに

米国の中国からのディリスキリング、あるいはサプライチェーンを中国から分断するデカップリングが進められる中、日本企業が巨大な米国市場でビジネスを拡大させていくためには、米国への輸出拡大や米国での現地生産の拡大に留まらず、米国企業の買収などを行う必要が出てくるのではないか。

中国は鉄鋼生産が余剰状態にあり、それを安値で海外に輸出している。日本の鉄鋼メーカーはアジア市場で、そうした安値攻勢を受けている。保護主義的な手法で守られた米国市場であれば、中国の安い製品から守られるという計算も、日本製鉄によるUSスチールの買収にはあるだろう。

このような現在の国際情勢のもとで、今回の日本製鉄によるUSスチールの買収は、多くの業種で日本企業が米国市場の成長を取り込む手段として、先駆けとなる可能性もあるのではないか。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。