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減税の効果は一時的

岸田首相は30日に衆院本会議で施政方針演説を行った。今国会は、政治資金規正法改正など、政治改革の議論に多くの時間を割かれそうであるが、経済政策についても停滞は許されない状況だ。

岸田首相も施政方針演説の中で、「経済再生が政権の最大の使命だ」と改めて強調した。今まで岸田政権が進めてきた少子化対策などの成果を国民に実感してもらう年にする、とした。

また、「可処分所得が増える状況を確実に作る」、「賃金が上がることが当たり前だとの意識を社会全体に定着させる」と述べた。可処分所得を増やすためには、春闘での企業の積極的な賃上げに期待するとともに、政府としては、医療や福祉、公共サービス分野での「公的賃上げ」を推進すること、6月からの定額減税を実施する。しかし、定額減税は時限的な措置であり、それによって実質可処分所得が増加するとしても、1年限りの効果でしかない。

日本銀行は2%の物価目標の達成を宣言する可能性

厚生労働省が発表している実質賃金は昨年11月に前年同月比で-2.5%の大幅減少となった。2024年のうちに実質賃金が上昇に転じる可能性は低い。減税策による可処分所得の増加が一時的であることから、個人が、安定的に実質賃金が上昇するとの期待を高めるようになるのは、今年中では難しい。

日本銀行は、2%の物価目標が達成されたとして、早ければ今春にもマイナス金利政策を解除する可能性がある。その場合、今度は政府がデフレ脱却宣言をいつ出すかに注目が集まるだろう。日本銀行の2%の物価目標達成の判断と政府のデフレ完全脱却の判断は、それぞれが独自に行うものであり、両者は明確に連動はしていない。

従来は2%の物価目標達成はデフレ脱却よりもハードルが高いと考えられていたが、物価上昇率が予想外に上振れたことで、両者が宣言を打ち出す時期が逆転する可能性が生じている。実際に、物価上昇率が持続的に2%で安定を維持できる可能性は低いと考えるが、金融政策の正常化に着手し、異例の金融緩和の副作用を軽減したいと考える日本銀行は、物価が上振れている時期を捉えて、2%の物価目標達成を宣言し、マイナス金利政策解除に乗り出す可能性がある。

岸田政権のデフレ脱却宣言は難しい

しかし政府は、実質賃金が下落を続ける中、デフレからの完全脱却を宣言することは、少なくとも今年は難しい。国民にとって物価上昇率の上振れは、生活を圧迫する「悪い物価上昇」だ。少なくとも、賃金上昇率が物価上昇率を安定的に上回り、実質賃金の上昇が定着するまでは、「悪い物価上昇」との認識は変わらないだろう。そのもとで、仮に政府が、物価上昇率の上振れのみを理由にデフレからの完全脱却を宣言すれば、それは国民からの強い批判を浴びるだろう。

他方、足もとでインフレ率は急速に低下してきており、今年の後半は1%台の物価上昇率が定着し、来年後半には1%割れも見えてくるだろう。そうなれば、政府はデフレからの完全脱却宣言を打ちだす機会を失ってしまう。

仮に日本銀行が2%の物価目標達成を宣言しても、岸田政権がデフレ脱却宣言を打ち出し、自らの経済政策の成果をアピールすることは、実現できずに終わるのではないか。

今年は労働市場改革と財政健全化に期待

岸田政権は、単に賃金や国民の所得を増やす施策に注力するのではなく、実質賃金が安定的に上昇する経済環境を作るべきだ。そのためには、労働生産性上昇を高めていく必要がある。

岸田首相が施政方針演説でも打ち出したように、リスキリングによる労働者の技能向上、ジョブ型の給与制度の拡大、労働市場の流動性向上を柱とする労働市場改革を強力に進めることで、労働生産性上昇を高め、実質賃金が安定的に高まることを、今年は目指すべきだ。

そして今年の重要な経済政策課題には、非現実的となった2025年度のプライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化目標を、2030年度など、より現実的な目標に修正したうえで、今度こそはそれを確実に達成するための歳出と歳入の一体改革、経済の潜在力向上の具体策を実施していくべきだ。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。