賃金の上振れには特殊要因も
米労働省が2月2日に発表した1月分雇用統計は、予想外の雇用者の増加、時間当たり賃金の増加となった。1月31日の米連邦公開市場委員会(FOMC)では、3月の利下げの可能性は否定されたものの、金融市場で近い将来の利下げの期待を強める情報発信がなされた。しかし、今回の雇用統計を受けて早期の利下げ観測が後退し、短期間のうちに金融政策の観測が大きく修正され、金融市場が翻弄される形となった。
1月の非農業雇用者増加数は事前予想の約18万人増加に対して、実際には35万3,000人と2倍近くになった。2023年10-12月期の雇用者増加数も、合計で20万人近く上方修正された。
さらに、時間当たり賃金は前月比+0.6%と2022年3月以来の増加率となった。しかしこれは、悪天候による労働時間の減少という一時的要因によるところもあり、賃金上昇率が再び加速し、インフレリスクを明確に高めているとは言えない。1月の週平均労働時間は前月の34.3時間から34.1時間へと減少し、ほぼ4年ぶりの低水準となった。これは、小売業、娯楽・ホスピタリティーを中心に悪天候で働けなかった人が多かったため、とみられる。労働時間の一時的な減少が、時間当たり賃金を押し上げたのである。
5月利下げ確率も低下へ
昨年末時点で、金融市場は今年3月にFRBが利下げを実施するとの見方が大半を占めていた。しかし、年明け後は3月の利下げ期待が徐々に後退し、1月31日のFOMCでパウエル議長が、3月の利下げの可能性は低いと明言したことから、金融市場は5月の利下げ期待を強めることとなった。
雇用統計発表後に、金融市場が織り込む3月の利下げ確率は約20%にまで低下した。さらに、雇用統計を受けて金融市場が織り込む5月の利下げ確率も、約90%から約70%にまで低下した。
FOMCは年内3回程度の利下げを予想している。これは、インフレ率が着実に低下を続ける中、名目の政策金利を据え置けば、実質政策金利(名目政策金利―期待インフレ率)が上昇して追加の金融引き締め効果が発揮され、景気に悪影響が及ぶことに配慮して、予防的に小幅な利下げを行う、という考えを反映している。
他方で金融市場は、経済指標が下振れれば、景気を支えるためにFRBはより大きな幅の利下げに踏み切るとみて、経済指標の下振れのリスクをより注視してきた。
しかし、今回の雇用統計のように経済指標が上振れるとともに、インフレリスクを示す賃金も上振れると、FRBは早期の利下げ、拙速な利下げが物価の安定回復を妨げることになるというリスクを警戒するようになる。この点から、金融市場は再び、物価統計やインフレリスクに関わる賃金、労働需給関連指標、あるいは商品市況などへの関心を強めることになるだろう。
FRBの3月の利下げ観測が大幅に後退するとともに、5月の利下げ観測も後退し始めたことは、それだけを取り出せば、日本銀行が円高のリスクを抑えつつ、3月あるいは4月にマイナス金利政策解除を実施することを後押しする要因となるだろう。
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。