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5月7日夕刻に、日本銀行の植田総裁は、岸田首相と意見交換を行った。日本銀行は、これは定期的なものと説明しているが、岸田首相が海外歴訪から戻るのを待っていたかのようなタイミングだ。

4月26日の日本銀行金融政策決定会合後の記者会見では、植田総裁は、「円安が基調的な物価を押し上げることで、2%の物価目標達成を助ける」とのポジティブなトーンで語った。こうした発言は、「日本銀行は円安を容認している」、「円安阻止に向けた政府と日本銀行の連携は後退した」と市場で受け止められ、4月29日に1ドル160円まで円安が進むきっかけとなった。また、「円安が短期的にはそれほど物価を押し上げない」との説明は、円安による国民生活の圧迫を軽視した発言、との批判も浴びることになった。

4月26日の決定会合以前には植田総裁は、「円安を注視」、「政府と連携」などと、円安をけん制する発言を繰り返していた。ところが、今回の決定会合では、こうした発言をせずに、あたかも円安のプラス面を語ったことから、「日本銀行は円安を容認している」、「円安阻止に向けた政府と日本銀行の連携は後退した」と市場では受け止められてしまったのである。

岸田首相との意見交換後の取材対応、いわゆる「ぶらさがり」では、決定会合直後の記者会見とは異なり、円安への警戒色を滲ませた発言を植田総裁は行ったように見える。「最近の円安を政策運営上、十分注視していく」、「円安は経済物価に潜在的影響を与えうるもの」、「今後基調的物価情勢にどういう影響があるかみていく」などの発言がそれだ。

4月26日の決定会合後の記者会見では、植田総裁が円安容認と受け止められかねない説明に終始したことを問題と捉え、日本銀行はそれを修正する機会をうかがっていた可能性がある。しかし、講演会、メディアとのインタビューの予定は当面入っていないことから、岸田首相と意見交換後のぶらさがりを情報発信の修正の機会に活用しようと考えた可能性が考えられる。

仮に日本銀行にそのような意図がないとしても、為替介入を実施したとみられる直後に、岸田首相と植田総裁が意見交換を行うことは、為替の安定に向けた政府と日本銀行の連携を再びアピールできる機会となったことは確かだろう。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。