財政検証で「所得代替率」の見通しは50%を維持
厚生労働省は7月3日、年金制度の財政検証の結果を発表した。財政検証とは、年金財政の収支の見通しを点検し、制度の問題点を検証しつつ必要な改革を進めるために、5年に1度行われるものだ。
厚労省は今回の財政検証の結果を踏まえて、秋にも与党と年金制度改革の議論を始める。さらに年末までに具体策をまとめ、年明けの通常国会で関連法の改正案を提出する。
財政検証では、「所得代替率」という指標がとりわけ重視される。これは、夫婦の年金額が、現役世代の男性の手取り収入の何%に当たるかを示すものであり、政府は将来もこれが50%を下回らないようにすることを目標としている。2024年度の「所得代替率」は61.2%と見積もられている。
厚生労働省は4つの経済前提の下で試算を行っているが、2番目に楽観的な経済前提である「成長型経済移行・継続ケース」(実質成長率1.1%、実質賃金上昇率1.5%など)のもとでは、2060年度の「所得代替率」は57.6%と比較的高水準を維持できる結果となった。
他方、下から2番目に悲観的な見通しであり、いわば現状維持である「過去30年投影ケース」(実質成長率-0.1%、実質賃金上昇率0.5%など)のもとでは、2060年度の「所得代替率」は50.4%と政府目標をぎりぎり上回る結果となった。
1.被用者保険の更なる適用拡大を行った場合、2.基礎年金の拠出期間延長・給付増額を行った場合、3.マクロ経済スライドの調整期間の一致を行った場合、4.65歳以上の在職老齢年金の仕組みを撤廃した場合、5.標準報酬月額の上限の見直しを行った場合、の5つのケースについて、それぞれ4つの経済前提の下で試算が行われた。この5つの前提が、来年の年金制度改革に盛り込まれる可能性がある。
基礎年金の保険料支払期間5年延長案を撤回
この5つの前提の中で、最も注目を集めたのは、2.基礎年金の拠出期間延長・給付増額を行った場合、だ。国民年金(基礎年金)の保険料支払期間を現行の40年から45年に延長する場合、「過去30年投影ケース」のもとで2055年の「所得代替率」は57.3%と現状維持の場合の50.4%から6.9%ポイント改善する。
他方、保険料負担は5年間の総額でおよそ100万円増すことになる。厚労省はもらえる基礎年金が年10万円ほど増えると説明しているが、低所得者の負担増加は大きいとの批判もある。
高齢者と女性の就労参加が進んだことや、株高による積立金の増加が寄与し、5年前の検証結果よりも見通しが改善したこと、パート労働者らの厚生年金の適用要件拡大や、基礎年金の給付抑制期間の短縮といった改革案でも基礎年金の給付水準が上がることが示されたこと、基礎年金の拠出期間の5年延長は、低所得者を中心に負担感が大きく、現状では広く国民の理解を得られないと判断したこと等から、厚生労働省は、今回の年金改革の案から、国民年金(基礎年金)の保険料支払期間延長を除く決定をした。
年金改革に深刻な人手不足への対応という要素が加わる
今までの年金制度改革は、大幅に悪化した年金財政の改善を通じて、年金制度の安定性、信頼性を高めることに大きな狙いがあった。また、将来にかけての給付額削減に歯止めをかける狙いがあった。
しかし今回の改革では、深刻な人手不足への対応という全く別の要素が加わっており、その分、難易度は増していると言える。この点を踏まえた見直し案が、4.65歳以上の在職老齢年金の仕組みを撤廃した場合、である。「在職老齢年金制度」のもとでは、賃金と厚生年金の合計が月額50万円を超えると年金が減額となる。そのため、いわゆる「働き損」を避けるために就業時間を調整する高齢者が少なくない。これが高齢者の労働供給を阻み、人手不足を深刻にしている面がある。
今回の試算では、在職老齢年金を撤廃すると、働く年金受給者の給付が増加する一方、将来の受給世代の給付水準が低下し、報酬比例部分の所得代替率は2029年度に0.5%低下する。
このように「在職老齢年金制度」の見直しは、年金財政を悪化させる面があるが、現状のまま制度を変更しなければ、高齢者の労働供給が増えずに、それが成長率の押し下げにつながり、ひいては年金財政収支を悪化させかねない。こうした点から、「在職老齢年金制度」の見直しは必至だろう。
「第3号被保険者制度」が人手不足問題を深刻にしている
同様に、人手不足問題を深刻化させている年金制度が、「第3号被保険者制度」だ(コラム「 年金制度の安定性・信頼性を高める改革への期待:「在職老齢年金制度」、「第3号被保険者制度」の見直しで人手不足緩和も 」、2024年6月3日)。自ら公的年金保険料を支払うサラリーマンや公務員など第2号被保険者の配偶者で、社会保険上の扶養認定基準を満たしている人が、この第3号被保険者となる。保険料は配偶者の厚生年金から支払われるため、自己負担はない。健康保険料も無料である。主に想定されるのは、パートの主婦らである。
ところが、彼らは年収106万円を超えると扶養から外れて社会保険料(厚生年金保険料、健康保険料)を新たに支払う必要が生じ、その分手取りの収入が減ってしまう。それを回避するために労働時間を調整することで、企業の労働力不足が深刻化している面がある。これが、「106万円の壁」問題である(コラム「 『106万円の壁』問題解決に助成金制度を10月に導入へ:抜本的な対応は第3号被保険者制度の見直し 」、2023年8月18日)。
現在の様に賃金が上昇すると、労働時間を削減する必要がさらに強まり、人手不足をより深刻にしてしまう。
この制度は専業主婦を前提とした、やや時代遅れの制度となっているのではないか。さらに同制度には、不公平感を生じさせている面もある。第3号被保険者が、社会保険料を支払わずに給付を受けているのは、独身者や共働き世帯がその分保険料を負担しているから、と考えることができるだろう。また、自営業の妻は第3号被保険者となれないことも、不公平感を生じさせている。
女性の社会進出を後押しするためにも抜本的な制度の見直しを
「106万円の壁」問題への対応として、政府は2023年10月から、キャリアアップ助成金(社会保険適用時処遇改善コース)の手続きを開始した。この制度では、事業主が新たに労働者に社会保険の適用を行った場合、労働者1人あたり最大50万円が助成される。これにより、短時間労働者が「年収の壁」を意識せずに働くことができる環境づくりを支援する。
ただしこの助成制度は、「106万円の壁」問題の解消に向けた暫定的な対応、という位置づけである。
第3号被保険者制度の見直しは、厚生労働省が示した財政検証の5つの案(オプション試算)には含まれていないが、2025年の年金制度改革の選択肢とすべきだろう。そうした制度改正は、労働供給の拡大を通じた人手不足問題の緩和に役立つばかりでなく、女性の社会進出を促すことにもなる。
今回の財政検証での年金収支の見通しは、5年前よりもやや改善したとはいえ、高齢化が進む中では、年金受給の抑制が今後も続く、政府目標である「所得代替率」50%を維持することは難しくなるだろう。抜本的な年金制度の改革を先送りすることのないよう、政府の積極的な対応が、来年の年金改革に向けて求められる。
(参考資料)
「令和6(2024)年財政検証結果の概要」、2024年7月3日、第16回社会保障審議会年金部会
プロフィール
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。