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物価上昇を受けて「金融緩和の効果はしっかりと働いている」との楽観論

日本銀行は7月16日(火)午前8時50分に、10年前の2014年1月~6月に開催された金融政策決定会合の議事録を公表する。

前年の2013年4月に日本銀行は量的・質的金融緩和を開始した。その時点ではコアCPI(消費者物価、除く生鮮食品)は前年同月比でマイナスであったが、その後は2014年年央にかけ、消費税率引き上げの影響を除くとも物価目標の2%に向けて1%台半ば程度まで一気に上昇していった。これを受けて量的・質的金融緩和の効果は発揮され、早期に2%の物価目標達成が実現される、との楽観論が、日本銀行内で支配的だったのがこの2014年上期の時期だ。

そうした楽観的なムードは、2014年4月に消費税率が引き上げられた際にも変わらなかった。一時的であっても消費税率引き上げによって表面的な物価上昇率が高まることで、中長期の予想物価上昇率(インフレ期待)が上振れ、2%の物価目標達成を助けることになる、との意見さえ聞かれた。

景気、物価情勢に変調が生じていた6月の決定会合においてさえも、「金融緩和の効果はしっかりと働いている」との見方が多数であった。

また、4月の消費税率引き上げによる駆け込み需要の反動減の大きさは概ね事前想定の範囲内で、5月以降は持ち直しの動きもみられるという楽観的な認識で一致していた。

物価上昇率の高まりは円安による一時的効果であることが見逃されていた

今回公表される議事録は、日本銀行内でのそうした過度に楽観的なムードを伝えるものであるが、次回、来年1月に公表される2014年下期(7月~12月)の議事録では、事態は大きく変化する。

消費者物価上昇率は再び0%に向けて急速に低下していき、早期に2%の物価目標を達成する道は絶たれたのである。当時は、2014年4月の消費税率引き上げによって個人消費が悪化し、「金融緩和効果でせっかく上手くいっていたはずの2%の物価目標達成に向けた動きが、台無しになってしまった」との意見も、日本銀行内で議論されていた。また、予想外の原油価格の下落も、2%の物価目標達成に向けた動きを頓挫させてしまった原因の一つとの意見も出ていた。

しかし、こうした議論は誤りだったと言える。2013年4月の量的・質的金融緩和開始後の急速な物価上昇率の高まりは、量的・質的金融緩和に前後して進んだ円安と原油高による輸入物価の上昇によるものであり、それは持続的な物価上昇率の高まりにつながるものではなかった。

また、その後の物価上昇率の下振れは、円安による一時的な物価押し上げ効果の一巡と原油価格下落によるものだった。

物価上昇率の下振れを消費税率引き上げと原油価格の下落のせいにした

物価上昇率の下振れを受けて、日本銀行は2014年10月に量的・質的金融緩和の拡大、つまり追加の金融緩和に踏み切る。長期国債の買い入れ増加額の目標を年間約50兆円から約80兆円に拡大した。またETFの買い入れ額を従来の3倍に拡大した。

すでに指摘したように、金融緩和の効果は発揮されていたが、消費税率引き上げや原油価格下落によって頓挫してしまった、と日本銀行は説明していた。

ただし、日本銀行は2%の物価目標を「2年程度を念頭に」達成を目指すとしていた。このように時期を特定したことは、金融緩和の効果は絶大であり、消費税率引き上げや原油価格の下落といった環境変化によってその効果が大きく削がれることがない、ということが前提であったはずだ。

成功体験が政策の軌道修正の妨げとなった

日本銀行は、再び金融緩和を強化することで、物価上昇率を再び上昇基調に乗せ、2%の物価目標達成を目指したのである。しかし、こうした判断は、2014年半ばまでの物価上昇率の高まりが、金融緩和による直接的な影響によるものだ、という誤った考えに基づいていたと考えられる。

物価上昇率が高まったという成功体験ができたがゆえに、その後も異例の金融緩和を縮小する方向への修正はなされずに、効果が期待できない一方副作用を高めかねない追加緩和が繰り返されるという泥沼にはまっていったのではないか。これは不幸なことであった。

当時、もっと冷静に物価の分析がなされていれば、物価上昇率の高まりは金融緩和効果によるとの結論には至らず、異例の金融緩和はもっと早期に修正されていたのではないか。

物価目標の柔軟化と政策の見直しを提案

当時審議委員として金融政策決定会合で政策決定に関与していた筆者は、物価上昇率の上振れは、金融緩和の直接的な効果によるものではなく、円安、原油高による一時的現象と考えていた。

そのうえで、達成が難しい2%の物価目標を維持すると、異例の金融緩和が長期化し、大きな副作用を生むことを懸念していた。そこで、2%の物価目標を中長期の目標へと柔軟化し、さらに異例の金融緩和がいたずらに長期化し、深刻な副作用を生まないように、物価動向に限らず、量的質的金融緩和導入から2年程度で、政策を柔軟に見直すことを一貫して提案していた。

10年経っても2%の物価目標の達成はなお難しい

ところで、10年経った現在でも、似たような環境に基づく物価上昇が生じている。原油価格の上昇や円安によって、消費者物価上昇率は現在、2%の物価目標を上回っている。物価上昇率の上振れはしばらく続くとしても、それは持続的なものではないだろう。

日本銀行は、輸入物価の上昇は日本経済には打撃となるが、それが賃金に転嫁され、さらに賃金上昇が物価に転嫁される中で、「悪い物価上昇」が「良い物価上昇」に転じる、と説明している。「災い転じて福となす」のようなことが容易に実現するとは思えない。

日本銀行が想定しているように、賃金上昇を伴う持続的な物価上昇によって2%の物価目標を達成することは、実際にはかなり難しいと考える。

労働生産性上昇率や潜在成長率の向上といった日本経済の実力を高める構造変化がない限り、物価上昇率のトレンドが短期間で大きく上振れ、それが定着することは考えにくいところだ。

むしろ実力以上の物価上昇率の上振れは、円安を伴いつつ、個人の超長期の物価上昇率見通し(インフレ期待)を上振れさせ、個人消費を悪化させてしまっている。そのもとでは、企業は価格引き上げを持続的に行うことは難しいはずだ。

10年前のように、日本銀行が物価上昇率のトレンドを見誤れば、それは金融政策の判断ミスにつながる。例えば過剰な利上げやそれを先取りした長期金利の過度な上昇が、実体経済や金融市場の安定を大きく損ねてしまう可能性もあるだろう。

日本銀行は10年前の判断ミスを真摯に振り返り、「今回は違う」といった楽観論に支配されず、同じ失敗を繰り返さないように強く心がける必要がある。

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。