保護主義、財政拡張色が強い公約
米メディアは7月8日、11月の米国大統領選挙でトランプ候補が選挙公約に掲げる共和綱領案を報じた。これは16頁からなるもので、7月15~18日に中西部ウィスコンシン州ミルウォーキーで開かれる共和党の党大会で採択される。米メディアは、2020年の前回大統領選で使われた綱領よりも保守色がやや薄まったと指摘している。
ただし、トランプ前大統領が掲げる政策が多く採用されており、保守色が強いやや極端な政策も少なくない。トランプ陣営は2023年に政策公約集「アジェンダ47」を公表したが、今回の綱領では、このトランプ陣営の公約集をもとに優先度や実現性が高い項目に絞り込まれたという。仮にトランプ前大統領が再選されれば、これよりも保守色が強く、より極端な政策が実施される可能性があるだろう。
トランプ前大統領の経済政策で最も特徴的なのは、「米国第一主義」に基づく、保護主義的政策だ。関税などで他国と同じ貿易条件を保障する、中国の最恵国待遇(MFN)を取り消すとされた。また、一部品目の輸入を段階的に停止するとした。対象となるのは、半導体や鉄鋼、医薬品などと見られている。
トランプ前大統領自身は、中国からの輸入品60%超えの追加関税をかけること、すべての輸入品に10%の追加関税をかけるというより大胆な政策を掲げている。
トランプ前政権の下で2017年に導入された大規模減税を恒久化することも含まれた。この際には、個人の所得税の最高税率を39.6%から37%に引き下げたほか、相続税や贈与税の基礎控除をほぼ倍増させた。大規模減税の恒久化の具体的な財源には言及せず、公的年金と医療保険制度は現状のまま維持するとした。財政赤字の拡大懸念を強める内容である。
エネルギー政策の大転換
バイデン政権が導入したエネルギー関連の規制を撤廃する。「米国を世界で圧倒的なエネルギー生産国にする」と強調した。石油や天然ガスなどの増産でガソリン価格を引き下げ、物価の抑制を図る。他方、バイデン政権が導入した電気自動車(EV)の普及に向けた環境規制も撤廃する。
バイデン大統領が2023年10月に発令した人工知能(AI)を規制する大統領令は「イノベーションを妨げ、過激な左翼思想を押しつけるものだ」として撤回する。
「何百万人もの不法移民を強制送還する」とし、トランプ政権時代に着手した「国境の壁」を完成させる。海外に駐留している数千人の兵士を南部国境に移動させ、その監視にあたらせる。また、移民の犯罪を食い止め、外国の麻薬カルテルも解体するとした。妊娠後期の中絶に反対を明記したが、具体的な規制は各州の判断に委ねるとしている。
外交・安全保障では、「同盟関係を強化する」とする一方、「同盟国が共同防衛義務に投資するよう徹底する」とした。北大西洋条約機構(NATO)加盟国の国防費増額が念頭にあるとみられる。
ウクライナの名指しは避け、「欧州の平和を取り戻す」とした。中東情勢を巡っては「イスラエルとともに立ち、平和を追求する」とした。インド太平洋地域については、「強く、主権があり、独立した国家を支持する」とのみ記した。
また、米軍の現代化を進め、米全土を守るミサイル防衛システムを構築するとした。「米軍を強化し、絶対的な世界最強の軍にする」と明記している。
金融市場はトランプ優位に目立った反応を見せず
ところで、大統領選挙ではトランプ前大統領が優勢との見方が強まる中でも、金融市場は目立った反応を示していない。
追加関税など保護主義的な貿易政策は、貿易活動を阻害し、また物価高を通じて米国経済にはマイナスになる可能性がある。また、追加関税による物価高や大型減税延長による財政悪化は、長期金利の上昇要因となる。さらに、トランプ前大統領はドル安志向を明らかにしている。これらを踏まえると、金融市場はトランプ前大統領の再選を予想して、株安、債券安、ドル安のトリプル安に反応してもおかしくないのではないか。
しかし、実際には金融市場が今のところは大きく反応していないのには、幾つかの理由が考えられる。第1に、大統領TV討論会ではトランプ前大統領が明確にバイデン大統領に対して優位に立ったが、支持率調査では両者の差は依然として大きくない。民主党が大統領候補者を換える可能性も含め、金融市場はまだトランプ再選を明確には織り込めないのだろう。
第2に、保護主義的な政策が経済を悪化させれば、それは長期金利を低下させて債券高になる。物価高と財政悪化で長期金利が上昇すれば、それはドル高要因になる可能性がある。追加関税で貿易赤字が減少すれば、それもドル高要因になる、などトランプの経済政策の結果が金融市場に与える影響は、実際には複雑であることだ(コラム「 金融市場はトランプ再選をどう織り込むか:トランプトレードの再来も 」、2024年7月5日)。
第3に、トランプ第一期の保護主義的な政策は、最終的には米国経済を大きく損ねることはなく、また株価の大幅下落を引き起こさなかった。また、大幅減税や巨額のコロナ対策は、大幅な債券安(長期金利上昇)を引き起こさなかった。さらに、トランプ前大統領はドル安政策を掲げたが、実際にはドル安にはならなかった。
金融市場はトランプ再選による経済・金融市場のリスクを過小評価か
このように、トランプ政権第1期に採用された極端な経済政策は、最終的には経済、金融市場を大きく混乱させることはなかった。そうした経験を踏まえて、金融市場はトランプ再選がもたらす経済や金融市場への影響に楽観的である可能性が考えられる。いわば「トランプ慣れ」である。
しかし留意したいのは、トランプ政権第1期と現在とでは、米国経済や金融市場の状況は大きく異なるということだ。歴史的な物価高を受けた大幅な金融引き締めの影響は、これから本格的に米国経済を減速させる可能性がある。トランプ再選の場合の保護主義的な政策は、既に脆弱性を抱える米国経済の悪化を後押しする可能性があるだろう。
また財政赤字、経常赤字もトランプ政権第1期と比べて拡大している。そのもとでさらに財政拡張的な政策がとられる場合には、財政及び通貨の信認低下から、債券安(長期金利上昇)、ドル安が加速する可能性がある。
さらに、トランプ政権第1期後にドルは大幅に上昇した。そのため、ドルがひとたび下落に転じる場合、それは急落となり、世界経済や金融にも甚大な打撃を与える可能性がある。
このような点を踏まえると、金融市場はトランプ再選が経済及び金融市場に与えるリスクを過小評価している可能性が考えられる。
(参考資料)
「トランプ氏公約、対中関税引き上げ 中絶規制は見送り 共和綱領案(米大統領選2024)」、2024年7月10日、日本経済新聞
「共和「公約」トランプ色鮮明 中絶一律禁止踏み込まず」、2024年7月10日、京都新聞
「トランプ氏の共和党、事実上の選挙公約でEV普及に向けた環境規制撤廃…中国の「最恵国待遇」取り消し」、2024年7月9日、読売新聞速報ニュース
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
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