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大統領経験者に刑事裁判で初の有罪判決

バイデン大統領が大統領選挙戦から撤退を決めたことで、大統領選挙は振出しに戻った感がある。しかし、最有力の民主党大統領候補であるハリス副大統領がトランプ前大統領を打ち負かすことは簡単ではなく、民主党は厳しい選挙戦を余儀なくされるだろう。

トランプ前大統領は、現在4つの事件で起訴されている。当初はこれが、大統領選挙でトランプ氏が再選を果たすことを阻む大きな障害になると広く考えられていた。しかし、現在ではそうした可能性も低下してきている。

裁判は、トランプ氏の大統領への返り咲きをむしろ後押ししている面がある。トランプ氏の弁護団による裁判を遅らせる作戦が奏功しているうえ、トランプ氏の起訴をバイデン政権が政治的な意図を持って司法を利用したものだとする主張が、国民の一部に受け入れられ、トランプ氏への支持を高めている面がある。

2016年の大統領選挙前の不倫関係を隠すために、2017年にトランプ氏が女優に口止め料を払った際、一族企業の帳簿などで費目を「法務費用」と偽り、州法に違反したとして起訴された。

ニューヨーク・マンハッタンの裁判所の陪審員団は今年5月に、34の罪のすべてで同氏に有罪評決を下した。アメリカの大統領経験者が刑事裁判で有罪とされたのは初めてのことだ。ところが、有罪評決を受けた当日に、トランプ氏の選挙戦を支援するため1日で3,480万ドル(約56億円)という記録的な資金が小口献金者から集まった。

量刑の言い渡しは9月18日に予定されている。トランプ氏は禁錮の実刑判決を言い渡される可能性もあるが、専門家の間では、罰金刑の可能性が高いとみられている。

大統領の公務に広く免責特権

一方トランプ氏は、2020年の大統領選挙で、選挙結果を覆そうと支持者を扇動し連邦議会襲撃を促した、との疑いで起訴された件で、大統領時代の公務には免責が認められるべきだとして、連邦最高裁に判断を求めていた。

判事の意見が割れる中、7月1日に米連邦最高裁は、大統領在任中の米国憲法や法律に従った「公的な行動」は刑事責任を問われないとし、広く免責を認める憲法判断を示した。大統領の中核的な任務にあたる行為は起訴されないほか、検察は公式と非公式の行為を分ける大統領の動機を問うことはできない。さらに公務に関連して起訴する場合には、行政府の権限と機能に立ち入る危険があってはならない、とした。この判断には保守派の6人の判事が賛成し、リベラル派の3人の判事は反対した。

トランプ氏の免責特権を巡るこの判断で、リベラル派のソニア・ソトマイヨール最高裁判事は、強い反対意見を述べていた。この判断は将来の大統領に強大な権力を与え、米国の民主主義を危うくすると警鐘を鳴らした。民主党も、大統領の権限が法律で制約されなくなると批判している。

他方トランプ氏は、最高裁判断が予想以上に優れていたと称賛し、「見事な文章、そして賢明さだ」とSNSに投稿した。

トランプ氏に有利な流れに

この判断は、現在進められているトランプ氏の4つの裁判の行方にも大きな影響を与えるだろう。大統領経験者の在任中の行為に広く免責を認める判断は、トランプ氏の罪を問うことの制約となりえる。

最高裁は、議会が襲撃された際のトランプ氏の行動が、免責に値するか否かをあらためて判断することとした。その結果、最終的な判決が下されるのは11月以降になるとみられており、トランプ氏にとっては大統領選挙の障害ではなくなった。

また、口止め料の支払いを巡る事件では、量刑の言い渡しは当初7月11日に予定されていた。それが9月18日に延期されたのは、大統領の免責についてのこの最高裁の判断があったためだ。

判断を受けて、トランプ氏の弁護団は、会計不正処理事件の証拠の一部が「公務」に関連しており、それは「証拠採用されるべきでなかった」とした。さらに量刑言い渡しの延期と有罪評決の破棄を求めた。

弁護団は、有罪評決無効に関する詳細な主張を裁判所に提出したのち、検察側は7月24日までに反論することになる。さらに判事は9月6日までに判断を下すとしており、有罪評決が維持されれば18日にトランプ氏に量刑が言い渡される。

専門家は、トランプ氏が関与したとされる業務記録の改竄(かいざん)は大統領在任中に行われたものであるが、問題となっている行為の多くはトランプ氏の大統領在任時以前のものであり、また在任中の証拠は公的な行為ではなく私的なものであるため、トランプ氏が有罪評決を覆すのは困難、と指摘している(ロイター)。最高裁は、大統領の私的行為には免責を認めなかったのである。

口止め料の支払いを巡る事件では、最終的にはトランプ氏の有罪は覆されず、量刑が下される可能性が高いが、それでも罰金刑にとどまると予想される。

他方、最高裁の大統領に広く免責を認める判断は、その他の裁判において、トランプ氏に有罪判決を下すことに慎重な動きをもたらすことになるのではないか。

トランプ前大統領が退任後にホワイトハウスから機密文書を持ち出したとされる事件については、フロリダ州の連邦地裁は7月15日、起訴を棄却する決定をした。捜査をした特別検察官の指名が違憲で、起訴が無効だと判断した。その結果、トランプ氏に対する四つの刑事事件のうちの一つは、公判も開かれずに終わる可能性が出てきた。検察側は決定を不服として上訴する方針という。

当初、大統領選挙戦でトランプ氏の逆風となるとみられていた裁判は、実際には大きな障害になることはなくなったのである。

(参考資料)
"The Stunning Reversal of Trump's Legal Fortun(トランプ氏の裁判、驚くべき「運命の逆転」)", Wall Street Journal, July 9, 2024
「トランプ氏 量刑言い渡し9月に延期 「免責」可否検討 口止め料訴訟」、2024年7月4日、産経新聞
「米最高裁、トランプ氏の免責を一部認める判断、最終確定は大統領選後の見通し」、2024年7月2日、JETRO

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。