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物価高騰でバイデン大統領は批判を受けた

米労働省が8月14日に発表した7月CPI(消費者物価)は、前年比で鈍化傾向が続いた。CPI総合は、前月比+0.2%と予想外に同-0.1%と下振れた6月分から上昇したものの、前年同月比では+2.9%と前月の同+3.0%から低下した。3%を下回ったのは、2021年3月以来初めてだ。また変動の激しい食料・エネルギーを除くコアCPIは前月比+0.2%と前月の同+0.1%を上回ったものの、前年同月比では+3.2%%上昇と前月の同+3.3%を下回り、2021年4月以来の低水準となった。

物価上昇率の低下傾向は、米連邦準備制度理事会(FRB)の9月の利下げ観測を一段と強めるものとなり、株式市場の追い風となった。しかしそればかりでなく、大統領選挙の行方にも大きな影響を与えることになるのではないか。

バイデン大統領就任以降の累積の物価上昇率は、累積で19%に達した。共和党のトランプ大統領候補は、物価高騰はバイデン大統領の失策のせいであると批判してきた。そうした主張は多くの米国民に受け入れられ、バイデン大統領が大統領選挙戦で苦戦を強いられる要因の一つとなっていた。特に勝敗を決めるラストベルト(錆びた地帯)を含む激戦州では、物価高騰問題は住民の選挙行動に大きな影響を与えるとみられる。

ハリス氏は物価安定回復に向け強い姿勢をアピール

しかし今や状況は変わってきている。それは、物価上昇率の低下傾向がより明らかになってきたことだ。さらに、物価高騰を許したのはバイデン大統領であり、後任候補のハリス氏にその責任を問う声は強まっていない。

政治分析サイト「クック・ポリティカル・リポート」などが関わった激戦州7州の世論調査では、生活費を抑制する政策で誰を信頼しているかとの問いに、42%がハリス氏、48%がトランプ氏と答えた。トランプ氏の支持がハリス氏の支持を上回っているが、その差は大きくない。

バーンスタイン大統領経済諮問委員会(CEA)委員長は、FRBは物価上昇率が2%の目標値に戻ることを目指しているが、消費者は元の物価水準まで戻ることを期待している、との主旨の発言を行った。消費者が本当に望んでいるのは、物価上昇率の安定ではなく、物価高騰前の水準まで物価が低下することだ。

こうした国民感情を理解しているハリス氏は、「不法に価格をつり上げている大企業、労働者世帯の家賃を不当に引き上げている大家、そして大手製薬会社と戦う」としている。またハリス氏は、16日に行った経済政策についての演説で、食品業界の価格つり上げを連邦レベルで禁止することを提案した(コラム「 ハリス氏が経済政策を発表:物価の安定と中間層支援をターゲットに 」、2024年8月19日)。

トランプ氏の経済政策は物価を押し上げてしまう

他方トランプ氏は、石油を「掘って、掘って、掘りまくれ」というスローガンを掲げている。石油産出量が増えれば、エネルギー価格が低下するという主張だ。しかし実際には、石油産業がどれだけ産出量を増やすのかは、原油の国際市況次第で決まる傾向が強い。価格が上がるから産出量を増やすのである。また、米国の原油産出量の増加だけでは、エネルギー価格を下げる効果は限られよう。

さらに、トランプ氏が掲げる関税引き上げと移民規制強化によって輸入コストと賃金に上昇圧力がかかり、むしろ物価上昇率は高まることになる可能性が高い。ドイツ銀行の試算によると、トランプ氏が提案する中国からの輸入品に対する60%の追加関税と、その他すべての国からの輸入品に対する10%の追加関税によって、米国の消費者物価が1.4~1.7%上昇する。トランプ氏は14日に、すべての輸入品に「10~20%」の関税を課すと述べ、さらに関税率を上げる考えを示している。

ラストベルトの激戦州の住民は経済的実利を重視か

トランプ氏が掲げる経済政策が、物価上昇率の低下を妨げることが広く理解されていけば、物価環境はハリス氏にとって逆風とはならず、むしろ順風に変わる可能性もあるだろう。

選挙戦の行方を左右するラストベルトの激戦州では、白人労働者などの住民は、民主党が重視する人権といった理念的なものよりも、生活環境の改善といった経済的実利をより重視する傾向があるのではないか。そのため、バイデン大統領の選挙戦離脱と物価上昇率の低下という2つの逆風緩和の下、ハリス氏が物価安定に向けた経済政策をアピールできれば、大統領選挙での勝利を一歩引き寄せることができるのではないか。

(参考資料)
"Why Inflation Might Not Win the Election for Trump(トランプ氏、インフレ批判では勝てない理由)", Wall Street Journal, August 16, 2024

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。