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経済の現状認識を踏まえた政策提言の必要性

毎回恒例となっている、日本記者クラブでの自民党総裁選挙候補者討論会が9月14日に開かれた。冒頭では、9人の候補者がそれぞれ最も主張したいポイントをパネルに書いて示した。高市氏が「経済成長」、林氏が「実感できる経済再生」、加藤氏が「国民の所得倍増」、河野氏が「改革の実績 熱さと速さ」、茂木氏が「増税ゼロの政策推進」と、9人の候補者のうち5人までが、経済政策を最優先課題に掲げている。しかしその割には、経済政策は概して具体性を欠き、議論は深まらなかったとの印象だ(コラム「自民党総裁選告示:新政権には日本経済の潜在力向上に資する経済政策の推進を」、2024年9月12日)。

新たな経済政策を打ち出す際には、足もとの経済状況の認識、今までの経済政策の評価の2つが欠かせない。しかし双方ともに、十分になされているとは言えないのではないか。

例えば賃金上昇率は顕著に高まっていることをもって、経済環境が改善しているとの指摘も聞かれるが、物価を調整した実質賃金は、ようやく前年比でプラスに転じつつある程度だ。過去2年以上にわたって実質賃金が低下を続けてきたことを踏まえれば、これだけで個人消費が本格的に改善するとは思えない。

むしろ、物価高懸念を緩和する方が、個人消費改善には近道だろう。現状、輸入物価上昇分の多くは円安の影響であることから、円安修正が物価高懸念を緩和させ、個人消費を後押しする。日本銀行の金融政策正常化を通じて円安修正を促すことは、国内経済の安定につながる。しかし、こうした政策は討論会では議論されなかった。

短期的には日本銀行と政府が連携をして円安修正を進めることが、重要な経済対策となるだろう。他方、中長期的には、個人消費は実質賃金の上昇率によって規定され、それは労働生産性上昇率で決まる。そのため、企業の投資を促し、労働者が自ら技能を高めることを通じて労働生産性上昇率を引き上げることが中長期的な政策としては重要となる。

しかし、そうした中長期の視点に立った骨太の経済政策は、討論会では具体的には示されなかった。

アベノミクスの総括を巡る議論は高まらず

一般に、新たな経済政策を始める前には、過去の経済政策の評価、検証を十分に行うことが求められる。現在の岸田政権の所得と分配の好循環、新しい資本主義などもそうであるが、より長きにわたって施行されてきたアベノミクスの功罪の検証、総括が必要なのではないか。

今回の討論会では代表質問者から、自ら「アベノミクスの精神が染みついている」と語る加藤氏に対して、アベノミクスの影の部分をどう考えるか、との質問があった。これに対して加藤氏は、アベノミクスのもとで、賃金は顕著に上昇しなかったが、それは遅れて表れているとし、アベノミクスの第2ステージに入っているとの認識を示した。

その第2ステージの政策こそが、同氏が掲げる「所得倍増」であり、これは、岸田政権の継承でもある。結果、アベノミクスの総括を行い、その功罪を踏まえて新たな政策が議論されることはなかった。

財政拡大で税収は増えるか

討論会では、「親アベノミクス」対「反アベノミクス」の構図とはならなかったが、アベノミクスの第2の矢である財政政策を巡っては、対立の構図は生じた。積極財政色が最も強いのが、アベノミクスの継承者とされる高市氏だ。加藤氏や茂木氏も積極財政色を感じさせる。他方、財政健全化を主張するのが、石破氏と河野氏である。

高市氏はワイズスペンディング(賢い支出)となる政府の投資拡大によって成長率が高まり、税収が増加するため、増税は必要ない、との主張だ。茂木氏も、成長率強化によって税収が増えることから、防衛増税や少子化対策のための医療保険料上乗せ徴収は必要ないと主張し、「増税ゼロ」を掲げる。

しかし、高市氏は、財政支出をどの程度の規模で拡大させるのかという代表質問者からの質問には答えなかった。どのような経路で、政府の投資拡大が成長率の向上と税収増加につながるのかについても、詳細な説明はなかった。

茂木氏は、成長率が1.5%高まれば税収が2兆円増え、防衛費増額と少子化対策を賄うことができる、とするが、そもそも成長率が1.5%高まることの具体策やその実現可能性については説明していない。

積極財政で成長率を高めれば、税収が増え財政再建が実現できるという「拡大均衡」の考え方は、従来から多く主張されてきたが、そうした政策の奏功で財政環境が改善したためしはなく、逆に財政悪化が続いてきたのである。

積極財政を主張するのであれば、もっと精緻で納得のいく議論をして欲しい。財政再建には成長力強化は欠かせない要素ではあるが、それだけに頼るのではなく、歳出歳入一体改革の推進も欠かせない。

財政政策を巡っては意見が分かれる

他方、河野氏は、政府の役割は民間経済の活力を最大限引き出すことであり、補助金を付ければよいというものではない、とする。そして、規制改革によって、民間経済の活力を高めることを主張する。また、金利が上昇する中、政府の利払い費はさらに増加し、財政環境は悪化すると警鐘を鳴らす。現在のプライマリーバランス(PB)の黒字化見通しは地方政府のPBの黒字に依存する部分が大きく、中央政府のPB赤字は依然大きいとする。そのうえで、中央政府はPB黒字化ではなく、利払い費も含む財政収支の黒字化を目指すべきと主張する。

河野氏の議論は納得感の高いものである。ただし、同氏は財政と社会保障の健全化を進める独立機関の設立を主張するが、それが実際にどのように政府の財政政策に影響力を持ち、財政健全化を推進するのかは明らかではない。追加の説明に期待したい。

このように、アベノミクスのうち第2の矢の財政政策については、両方向から議論がなされたが、なお活発な議論とは言えないだろう。また、社会保障制度改革については、給付と負担のバランスを見直すとの議論は多く聞かれたが、具体策は議論されなかった。

高市氏は日本銀行の利上げに明確に反対

アベノミクスの第1の矢である金融緩和について、大多数の候補者は、円安修正につながる日本銀行の追加利上げを支持しているとみられる。そうした中、唯一高市氏のみが、日本銀行の利上げに反対の意見を明確に述べた。日本銀行の独立性を尊重する岸田政権の現役閣僚としては、かなり異例の発言と言えるだろう。

高市氏は、2%を超える物価上昇は海外の食料・エネルギー上昇が主導するコストプッシュ型の物価上昇であり、日本銀行が目指す良い物価上昇ではないと指摘する。そのもとで利上げを進めることは、住宅ローン金利の上昇などを通じて国民生活に悪影響を与えることから反対、との姿勢である。アベノミクスの継承者であることを明らかにした。

物価上昇率の高まりは一時的要素によるところが大きく、2%の物価目標達成はまだ見えていない、という点では高市氏の指摘は正しいと思うが、それを前提にしても、現在の金利水準はなお低すぎており、それが様々な副作用を生んでいると考えられる。過度な円安もその一つだろう。

代表質問者からは、日本銀行の利上げを阻めば、再び円安が進み、物価高が国民生活を圧迫するのではないかとの指摘があったが、高市氏はそれには答えなかった。

仮に高市氏が総裁・首相となれば、日本銀行の追加利上げが制約を受けるとの見方が金融市場に生じ、円安要因になるだろう。それは、円安の修正を受けて物価高懸念が和らぎ、個人消費がようやく緩やかに持ち直しつつある現在の流れに水を差してしまう可能性もあるのではないか。

構造改革・成長戦略の議論は高まらず

アベノミクスの第3の矢であり、企業の投資を促す構造改革、成長戦略については、候補者すべてが支持するところだろうが、具体策の議論は深まらなかった。成長戦略については、岸田政権も推進してきた。「資産運用立国実現プラン」を通じた「貯蓄から投資へ」、「三位一体の労働市場改革」、「少子化対策」、「外国人材確保」、「インバウンド戦略」などであるが、それらをどう評価するかや継承するか否かといった議論も出なかった。

唯一労働市場改革の議論については一定程度高まったが、議論の中心は解雇規制の見直しの是非に集中した感があり、いかにして労働移動を高めて産業構造の高度化、成長力強化につなげるかという、より重要な議論は深まらなかった。

「聖域なき規制改革」はやや看板倒れか

構造改革の一環である規制改革については、小泉氏と高市氏の間で、ライドシェア全面解禁の是非を巡って議論が戦わされたが、全体としては盛り上がりを欠いた印象だ。

小泉氏は、規制改革を進めた小泉元首相を父に持つことから、積極的な規制改革を掲げることが期待されていた。同氏は「聖域なき規制改革」を掲げたが、実際に同氏が示した規制改革は、解雇規制の緩和やライドシェア全面解禁などに限られた。岩盤と言われた医療分野での更なる規制改革を目指す、などといった非常に意欲的なものではない。この点からやや期待外れ、看板倒れの感がある。

岸田政権は、小泉政権が進めた規制改革は、格差を拡大させたとして当初は否定的だった。功罪の議論も含め、総裁選ではこの規制改革についても、もっと議論を深めていって欲しい。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。