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岸田政権の「構造的賃上げ」を引き継げ

まもなく退任する岸田首相は、自らの経済政策の成果の一つとして、賃上げを挙げた。自民党総裁選の各候補も、賃上げの継続を支持する姿勢である。国民もそれを望んでいるということだろう。

ただし、賃上げを達成する手法には、候補者の間でばらつきがある。税制上の措置で賃上げを促す考えと、労働者の生産性向上を促す労働市場の改革を通じて賃上げを引き出す考えとがある。岸田政権の賃上げ策は、企業への働きかけや賃上げ減税を通じたものもあったが、「構造的賃上げ」を掲げ、(実質)賃金が自然と上昇する経済環境を作り出すことも目指してきた。「三位一体の労働市場改革」を通じて、労働生産性を高め、実質賃金上昇率の向上につなげようとしたのである。新政権も、岸田政権の「構造的賃上げ」という考えを引き継いでほしい。

税優遇措置、公的セクターの賃上げ、労働市場改革

加藤氏は、自身が掲げる「国民の所得倍増」の具体策として、賃上げした企業への優遇税制を拡充し、税額控除率を最大で賃上げ分の5割に引き上げる考えを示している。さらに、医療、介護、保育などの公的分野について、「少なくとも5%を超える賃上げを実現する」と語った。高市氏も、「賃上げする企業の法人税を軽減する税制を抜本的に拡充する」と発言している。

他方で加藤氏は、「教職員、保育士、医療介護福祉職員など公的セクターで働く方々の賃上げ、労務費の転嫁、また中小企業の支援など賃上げにつながる政策、これを徹底する」と、別の側面から賃上げを促す施策も掲げている。同様の提案は、小林氏からもなされている。「国が民間に賃上げを要請するのであれば、まず国がやればいい。保育、介護、医療や看護、こうしたセクターで働く人たち、若い方々もいる。国が物価上昇率を超えるプラスアルファを上乗せして処遇改善する制度を導入する」と発言している。公的セクターでの賃上げは、岸田政権も推進してきたものだ。

また加藤氏は、「リスキリング(学び直し)をすることによって給与を上げていく」と「構造的賃上げ」に沿った考えも示している。河野氏も、「雇用の流動性が高まれば、賃金が上がっていく」と述べた。茂木氏も、「労働移動は極めて重要だ。一人ひとりがもっと活躍でき、自分の才能を伸ばせ、やりがいを感じ、より高い報酬が得られる環境を整えることが重要だ」としている。これらは、「構造的賃上げ」という考えに沿うものだ。

分配を変化させるだけの賃上げのみを目指す政策は望ましくない

労働生産性を高め、その結果として(実質)賃金上昇率が高まること、つまり「構造的賃上げ」を目指すことが望ましい。

他方、(名目)賃金を政策目標に据え、それに働きかけて賃上げのみを目指す政策は問題があるのではないか。現在見られている賃金上昇率の上振れは、物価上昇への遅れをとり戻す正常化の一環と言える。賃金だけを高める政策を経済政策の柱に据え、それを進めていけば、いずれは実質賃金と労働分配率の過度の上昇が企業収益を損ね、経済環境を悪化させてしまうだろう。

賃上げはパイを切り分ける比率、いわゆる分配を変化させるだけであり、経済(パイ)全体を拡大させるものではない点を理解すべきだ。それでは、持続的な国民生活の改善にはつながらない。

新政権は、(実質)賃金が結果として高まるよう、労働生産性の上昇など経済の潜在力を高め、経済(パイ)全体を拡大させる成長戦略を、是非経済政策の柱に据えて欲しい(コラム「自民党総裁選告示:新政権には日本経済の潜在力向上に資する経済政策の推進を」、2024年9月12日)。

(参考資料)
「自民党総裁選「雇用・働き方」発言を追う」、2024年9月21日、日本経済新聞電子版
「高市氏「賃上げ企業に減税」、小泉氏「起業応援税制を」」、2024年9月21日、日本経済新聞電子版

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。