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アベノミクスを擁護するような発言

石破首相は9月の自民党総裁選で、アベノミクスの金融緩和と財政出動の弊害を念頭に、アベノミクスの是非を検証すべき、と主張していた。しかし、首相に就任した後は、日本銀行の利上げに慎重な姿勢を見せ、またアベノミクスの批判を行っていない。7日の衆院本会議で行われた代表質問では、むしろアベノミクスを擁護する答弁を行った。

代表質問に立った立憲民主党の野田代表は、石破首相に対して、アベノミクスの是非について質問した。野田氏は、「首相は批判的な立場を取ってきた。金融政策は最近、言動に相当ずれが出てきている」と苦言を呈した。そのうえで、アベノミクスの評価を改めて質した。

石破首相は、「(アベノミクスは)デフレではない状況を作り出し、GDPを高め、雇用を拡大し、企業収益の増加傾向にもつながった」、「こうした成果の上で、岸田内閣の新しい資本主義の取り組みが最低賃金の過去最大の引き上げ、名目100兆円超の設備投資などにつながった」、「デフレからの脱却を確実なものとするべく、岸田内閣の経済政策を引き継ぎ、さらに加速させ、賃上げと投資がけん引する成長型経済の実現を図っていく」と述べたのである。

政府と日本銀行の共同声明は安倍政権のレジーム

さらに、政府と日本銀行の共同声明については「先日、植田日銀総裁と意見交換を行い、政府と日銀は共同声明に沿って、引き続き連携を続けていくことを確認した」「現時点で共同声明を見直すことは考えていない」と語った。

安倍政権の下、2013年に公表された共同声明は、2%の物価目標達成に向けて日本銀行が積極的な金融緩和を行うことを宣言するものだったが、実際には、政府が日本銀行に積極緩和を強いることに寄与するものであり、日本銀行の金融政策の自由度を縛るものでもあった。共同声明の見直しを否定することは、政府が金融政策に影響を与える安倍政権以来のレジームを維持することとなり、アベノミクスを肯定するものだ。

ただし、石破政権発足直後に、日本銀行はデフレ脱却を最優先する政府の方針に水を差さないように慎重な金融政策をすべき、との主旨の閣僚の発言があった。そうした場合、日本銀行の金融政策は、デフレ克服ではなく、2%の物価目標達成であることが明記されており、政府もそれを認めたこの共同声明を再度確認することは、日本銀行が政府による金融政策への関与をかわすことに役立つ、という面もあったのである(コラム「赤沢・新経済再生担当相が日銀の利上げに慎重姿勢」、2024年10月2日)。

岸田政権の経済政策継承は、事実上アベノミクスから距離を置くことも意味するか

野田代表は、アベノミクスの下で異例の金融緩和が財政規律を損ない、財政環境の悪化を助長するなどの弊害をもたらした、と考えている。これは、石破首相が8月に発刊した著書の中で述べていることとほぼ同じだ。アベノミクスや金融緩和についての両者の考えはかなり近いのである。

ところが、国会の場で両者が対峙すると、野田代表はアベノミクス批判、石破首相はアベノミクス擁護的な発言へと分かれてしまう。首相となった石破氏は、自民党の過去の政策についても擁護することが求められるのだろう。この点は、金融政策の正常化を進めながらも、黒田前体制の下で進められた異例の金融緩和について明確な批判を避けている、植田日銀総裁の姿勢とも似ている。石破首相が自民党内での非主流派であった際の発言が、首相となった際の発言と異なるのは仕方がないかもしれない。また、党内で依然影響力を持つ、かつての最大派閥である旧安倍派の協力を得るためには、アベノミクス批判は避ける必要があるということかもしれない。

石破政権は、岸田政権の経済政策を引き継ぐと明言した。岸田政権は、アベノミクスの評価を避けつつ、アベノミクスのもとで実現できなかったこと、あるいはその弊害として現れたことへの対応を進めようとした。それが、賃上げであり、格差縮小であっただろう。石破政権が、岸田政権の経済政策を引き継ぐと明言したことは、アベノミクスとは距離を置く姿勢を滲ませるものでもあるのではないか。

ただし、今月の衆院選挙、あるいは来年の参院選挙で石破政権の政治基盤が強化された場合には、総裁選で掲げてきたアベノミクスの功罪の検証を行い、正常化に向けた日本銀行の金融政策の自由度の確保と財政健全化の方向を明確に確認することを是非実施して欲しい。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。