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米国老舗企業が日本企業に買われることへの強い抵抗

バイデン米大統領は1月3日、日本製鉄によるUSスチールの買収計画に対して中止命令を出した。この買収計画は、政府の省庁横断組織である「対米外国投資委員会(CFIUS)」が長らく審査していたが、省庁間で意見の集約ができなかったことから、昨年12月23日にバイデン氏に判断を一任していた。

バイデン大統領は3日に公表した声明で、「USスチールは米国人が所有し、米国人が運営し、そして米国人の組合鉄鋼労働者による世界最高の誇り高き米国企業であり続ける」と述べた。さらに「米国の鉄鋼会社を外国の支配下に置くことは国家安保と供給網にリスクとなる」と話している。

この買収が米国の安全保障のリスクを高めるとは到底考えにくい。実際には、雇用環境を損ねると買収に強く反対する労働組合と老舗企業が外資に買われることへの国民の抵抗感に、バイデン大統領は配慮せざるを得なかったと見られる。買収阻止は、経済合理性ではなく、政治的思惑に基づく決定だったと言える。

同盟国である日本企業による米国企業の買収を阻止することは異例であり、今後の両国関係に悪影響を与える可能性があるだろう。仮に欧州企業による買収計画であればバイデン大統領は阻止しなかった可能性が考えられる。この点から、かつての日米貿易摩擦の底流にあった日本に対する経済面での強い警戒感や日本に対する異質感が、まだ米国に残っていることを感じさせるものでもある。

USスチールの経営危機はさらに強まるか

USスチールは1901年創業で、1960年代までは世界最大の鉄鋼企業だった。しかし現在では競争力を失い、世界ランキングは2023年に24位と10年前の13位から低下している。

買収に賛成するUSスチールの経営陣は、買収が不成立となれば、高炉を近代化することが難しくなること、地域経済や雇用に多大な悪影響を与えること、ペンシルベニア州で最も古いモンバレー製鉄所の閉鎖や同州からの本社移転が避けられないことなどをバイデン大統領に訴えてきたが、受け入れられなかった。買収が白紙に戻れば、USスチールの競争力は一段の低下が避けられないのではないか。

日米外交関係と海外からの対米投資に悪影響

買収計画の中止命令は、日本製鉄に原則として30日以内の買収計画の終了を命じるものだ。CFIUSが期限を延長しない限り、2月2日までにCFIUSに買収計画の放棄証明書を提出しなければならない。

他方、日本製鉄とUSスチールは、今回の判断は適正な手続きが取られず、法令違反だとして米政府を提訴する方針を明らかにしている。声明で両社は「この決定はバイデン大統領の政治的な思惑のためになされたものであり、米国憲法上の適正手続きと、CFIUSを規律する法令に明らかに違反している」と批判している。

その上で、「同盟国である日本をこのように扱うことは衝撃的で、非常に憂慮すべきことだ。米国へ大規模な投資を検討しようとしている米国の同盟国を拠点とするすべての企業に対して、投資を控えさせる強いメッセージを送るものだ」と厳しく非難した。
 

保護主義的な政策が米国企業の一段の競争力低下をもたらす

ただし、訴訟で大統領の買収中止命令が覆ったことはこれまで一例しかなく、日本製鉄にとっての先行きの見通しはかなり厳しい。1月20日に就任するトランプ次期大統領が大統領令でバイデン氏の命令を無効にすれば、買収への道も開けてくる可能性はあるが、トランプ氏もこの買収に強く反対していることから、それが実現する可能性は低いだろう。

USスチールは今まで、経営危機が生じるたびに、政府に働きかけて関税など保護主義的な政策を引き出し、雇用や生産を守ろうとしてきた。今回の買収計画では、USスチールの経営陣、従業員、株主は賛成しているという点が過去とは異なる。しかし、政府は政治力を用いて日本企業によるUSスチールの買収を阻止する姿勢であり、保護主義的な手法を用いて米国企業を守ろうとする過去の手法と共通する面はあるだろう。しかしそのような姿勢こそが、USスチールなど米国企業の本格的な構造改革を先送りさせ、競争力の低下をもたらしてきたのではないか。

トランプ次期政権も、追加関税を導入することで、国内企業と雇用を守る姿勢だ。しかしそうした保護主義的な政策は、やはり米国企業の国際競争力を低下させ、ひいては米国経済や雇用に悪影響を与えることにつながりかねない。

このような点から、今回のバイデン政権による買収計画阻止は、トランプ次期政権の経済政策が抱える問題点を先取りしている面がある。
 
 
(参考資料) 
「USスチール、再建難しく 高炉閉鎖や本社移転に現実味」、2025年1月4日、日本経済新聞電子版
「日鉄、米政府を提訴へ 「法令違反」USスチールと共同声明」、2025年1月4日、毎日新聞速報ニュース 
「日鉄、米政府を提訴も挽回難しく トランプ氏も「反対」」、2025年1月4日、日本経済新聞電子版
「日鉄の買収計画頓挫、米の「象徴」壁高く 政治に翻弄」、2025年1月4日、日本経済新聞電子版
「日本製鉄のUSスチール買収中止命令 バイデン大統領発表」、2025年1月4日、日本経済新聞電子版
 

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。