名目GDPの2.0%の経済損失(ストック毀損)が発生
多くの尊い人命を奪った阪神・淡路大震災の発生から、1月17日で30年となる。今から1年前の2024年1月1日には能登半島地震が起こり、また1月13日には日向灘を震源とするマグニチュード6.6の地震も発生している。
頻発する地震に対応するため、石破政権は防災庁の設置を目指しており、昨年11月には内閣官房に準備室を立ち上げた。また今年の年頭の記者会見で石破首相は、避難所生活の改善が必要、と改めて強調し、全国7か所に備蓄拠点を整備して、災害時にキッチンカーや段ボールベッドなどの支援物資を48時間以内に被災地に届けられるよう対策を進めていく考えを示している。
本コラムでは、東日本大震災との比較を交え、阪神・淡路大震災からの30年を経済的側面に焦点を当てて振り返ってみたい。
阪神・淡路大震災によって失われた設備などのストック(インフラ)は、合計で9.6兆円と国土庁は試算している(図表1)。これは、阪神・淡路大震災の前年の1994年の名目GDPの2.0%、震災の中心となった兵庫県の県内総生産の48.8%と実に半分近くの規模に達した。大震災は甚大な経済被害をもたらしたのである。
頻発する地震に対応するため、石破政権は防災庁の設置を目指しており、昨年11月には内閣官房に準備室を立ち上げた。また今年の年頭の記者会見で石破首相は、避難所生活の改善が必要、と改めて強調し、全国7か所に備蓄拠点を整備して、災害時にキッチンカーや段ボールベッドなどの支援物資を48時間以内に被災地に届けられるよう対策を進めていく考えを示している。
本コラムでは、東日本大震災との比較を交え、阪神・淡路大震災からの30年を経済的側面に焦点を当てて振り返ってみたい。
阪神・淡路大震災によって失われた設備などのストック(インフラ)は、合計で9.6兆円と国土庁は試算している(図表1)。これは、阪神・淡路大震災の前年の1994年の名目GDPの2.0%、震災の中心となった兵庫県の県内総生産の48.8%と実に半分近くの規模に達した。大震災は甚大な経済被害をもたらしたのである。
図表1 近年の主な震災での経済損失(ストック毀損)試算


インフラの復旧は当初急ピッチで進んだ
しかし、ストックのうち、工場などの民間資本ストックではなく、道路、上下水道、公共住宅、港湾、空港といった社会資本ストックに注目すると、1994年末から1995年末の間で減少することなく、むしろ1.5兆円増えている(図表2)。これは、阪神・淡路大震災直後から、かなりの急ピッチでインフラの復旧・復興が行われたことを示しているだろう。
この点は、東日本大震災後の被災地の状況とは大きく異なる。東日本大震災の被害の中心となった東北3県(岩手県、宮城県、福島県)の合計の社会資本ストックは、震災の年の2011年に、前年から2.3兆円、4.7%も減少した。被害が非常に広範囲であり、また原発事故も生じた東日本大震災では、当初、インフラの復旧は遅れたと考えられる。
社会資本ストックの水準が震災前の2010年の水準を取り戻したのは、4年後の2014年であり、2010年までの5年間のトレンド上の水準を上回ったのは、5年後の2015年のことだった(図表3)。
この東日本大震災の経験と比べると、インフラの復旧について、阪神・淡路大震災後の兵庫県は、当初、政府からの強い支援を受けたことがうかがえる。しかし、それは長くは続かなかったのかもしれない。
兵庫県での社会資本ストックが大幅に増加し、増加率が全国平均を大きく上回ったのは3年間だけだった。それ以降は、現在に至るまで、兵庫県の社会資本ストック増加率は、全国平均を下回り続けている(図表2)。
これは、東日本大震災後の東北3県と比べて対照的だ。東北3県では、全国平均を上回るペースでの社会資本ストックの増加が、足元でもなお続いている。震災から10年以上が経過してもなお、政府による公共工事活動が、引き続き活発になされているのである(図表3)。
この点は、東日本大震災後の被災地の状況とは大きく異なる。東日本大震災の被害の中心となった東北3県(岩手県、宮城県、福島県)の合計の社会資本ストックは、震災の年の2011年に、前年から2.3兆円、4.7%も減少した。被害が非常に広範囲であり、また原発事故も生じた東日本大震災では、当初、インフラの復旧は遅れたと考えられる。
社会資本ストックの水準が震災前の2010年の水準を取り戻したのは、4年後の2014年であり、2010年までの5年間のトレンド上の水準を上回ったのは、5年後の2015年のことだった(図表3)。
この東日本大震災の経験と比べると、インフラの復旧について、阪神・淡路大震災後の兵庫県は、当初、政府からの強い支援を受けたことがうかがえる。しかし、それは長くは続かなかったのかもしれない。
兵庫県での社会資本ストックが大幅に増加し、増加率が全国平均を大きく上回ったのは3年間だけだった。それ以降は、現在に至るまで、兵庫県の社会資本ストック増加率は、全国平均を下回り続けている(図表2)。
これは、東日本大震災後の東北3県と比べて対照的だ。東北3県では、全国平均を上回るペースでの社会資本ストックの増加が、足元でもなお続いている。震災から10年以上が経過してもなお、政府による公共工事活動が、引き続き活発になされているのである(図表3)。
図表2 兵庫県の社会資本ストック増加率の推移

図表3 東北3県の社会資本ストック額の推移


図表3 東北3県の社会資本ストック額の推移

元に戻すよりも新たなものを生み出すという発想
震災後には、「復旧」と「復興」という言葉が区別されて用いられることがある。復旧は、震災で壊れた設備などを元の水準に戻すことを意味する。一方で復興は、設備などが元の状態に戻るだけでなく、経済活動や人々の生活などが震災以前の活気をしっかりと取り戻すことを意味する。
震災によって、失われてしまったものは非常に多い。多くの人命が失われたとともに、被災地から転出してしまった人も多い。また、失われてしまった産業、文化、芸術なども少なくないだろう。重要な観光資源も失われた。
それらを取り戻すことは難しく、単に公共工事で社会資本ストックを復旧するだけでは、被災地は元の賑わい、活気を取り戻すことはできないだろう。
元の状態に戻すよりも、新たなものを作り出すという発想が重要だ。震災前にはなかった新たな要素を加えることで、初めて被災地は元の賑わいを取り戻し、新たな成長を遂げ、そして真の復興を遂げたと言えるだろう。それには、被災地の住民による取り組みに加えて、日本全体での支援が必要だ。国民全体で、被災地の新たな成長モデルを考えていくことが望まれる。
震災によって、失われてしまったものは非常に多い。多くの人命が失われたとともに、被災地から転出してしまった人も多い。また、失われてしまった産業、文化、芸術なども少なくないだろう。重要な観光資源も失われた。
それらを取り戻すことは難しく、単に公共工事で社会資本ストックを復旧するだけでは、被災地は元の賑わい、活気を取り戻すことはできないだろう。
元の状態に戻すよりも、新たなものを作り出すという発想が重要だ。震災前にはなかった新たな要素を加えることで、初めて被災地は元の賑わいを取り戻し、新たな成長を遂げ、そして真の復興を遂げたと言えるだろう。それには、被災地の住民による取り組みに加えて、日本全体での支援が必要だ。国民全体で、被災地の新たな成長モデルを考えていくことが望まれる。
相対的な経済規模で震災前の水準をとり戻せない兵庫県
兵庫県は30年経ってもまだ真の経済復興をまだ成し遂げていないようにも見えるが、それは、日本のGDPに占める兵庫県の比率が、震災後に大きく低下したことからもうかがえるのではないか。1955年時点で、日本の名目GDPに占める兵庫県の比率は5%を超えていたが、その後は低下傾向を辿っている。バブル期にはその比率はやや回復の兆しを見せたが、震災特需が一巡すると、2000年代半ばにかけて比率は大きく低下し、兵庫県の経済的プレゼンスの低下が続いている(図表4)。
足元では下げ止まりの兆しもみられるが、最新の2021年にはその比率は3.7%と、震災前の1994年の4.1%をなおも下回った状態にある。
こうした兵庫県とは対照的に、社会資本ストックが急速に増加している東北3県では、付加価値の増加というフローの経済活動を示すGDPの増加率も比較的堅調だ。日本のGDPに占める東北3県の比率は、東日本大震災の年の2011年には3.6%と2010年の3.7%から低下したが、最新の2021年には3.8%と震災前の水準を上回っている。
阪神・淡路大震災の被災地が真の復興を成し遂げるためには、文化、芸術、経済など多くの側面から、震災前とは異なる日本の中での新たな役割を見つけ出し、確立していくことが重要だ。日本全体で、それを今後も支援し続けることが望まれる。
足元では下げ止まりの兆しもみられるが、最新の2021年にはその比率は3.7%と、震災前の1994年の4.1%をなおも下回った状態にある。
こうした兵庫県とは対照的に、社会資本ストックが急速に増加している東北3県では、付加価値の増加というフローの経済活動を示すGDPの増加率も比較的堅調だ。日本のGDPに占める東北3県の比率は、東日本大震災の年の2011年には3.6%と2010年の3.7%から低下したが、最新の2021年には3.8%と震災前の水準を上回っている。
阪神・淡路大震災の被災地が真の復興を成し遂げるためには、文化、芸術、経済など多くの側面から、震災前とは異なる日本の中での新たな役割を見つけ出し、確立していくことが重要だ。日本全体で、それを今後も支援し続けることが望まれる。
図表4 全国GDPに占める比率の推移


プロフィール
-
木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。