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人手不足への対応という観点から「在職老齢年金制度」を見直し

政府が24日から始まる通常国会に提出する予定の年金改革法案が明らかになった。5年に1度の今回の年金改革では、年金財政の安定化に資するという目的に加えて、人手不足への対応という目的の重要性が高まった点が大きな特徴であり、そのため、年金制度改革の難易度は増している。

こうした観点から、最も注目されたのは、「在職老齢年金制度」の見直しだ。同制度の下では、65歳以上の働く高齢者で、厚生年金の給付額と賃金の合計が月額50万円を超えると、厚生年金の受取額が減る。これを、2026年度からは、月額62万円までなら満額の年金を支給するように制度を見直す。

退職で所得がなくなった、あるいは大幅に減少した高齢者の生活を支えるという年金制度の趣旨に照らせば、厚生年金の給付額と賃金の合計が月額50万円を超える比較的所得環境が良い高齢者の厚生年金給付額を削減することは、一定程度正当化されるだろう。

それを見直すことになったのは、年金受取額の減額が、高齢者の働く意欲を削ぎ、人手不足をより深刻にしてしまうという面があるためだ。ただし、厚生年金の給付額と賃金の合計が月額50万円を超える比較的所得環境が良い高齢者は、それ以前までの所得水準も比較的高く、また、金融資産も相応に保有しており、生活のためではなく生き甲斐のために働き続けている人が多いようにも思える。そうした人達が、どれほど、年金受取額の減額に敏感に反応して労働時間を調整しているのかは、不確実なのではないか。

こうした点から、労働時間調整の客観的材料がもっと手厚く示された方が良かったのではないか。

現役世代の保険料負担増加に不満も

他方、「在職老齢年金制度」の見直しによって、厚生年金の給付額が増えることになる。その財源を賄うという目的とは明確に位置付けられてはいないものの、賞与を除く年収798万円以上の会社員らが納める厚生年金保険料が2027年9月をめどに引き上げられる。

保険料は月収に18.3%を掛けた金額を労使で折半しているが、現状では、月収65万円を上限にして、保険料額は増加しない。その上限を、75万円にまで引き上げる。その結果、該当する人の保険料は、現在の月5.9万円から最大9,000円増えることになる。

この制度の見直しは、比較的豊かな働く高齢者の年金給付額を増やすために、現役世代の保険料負担を増加させるもの、と受け止められ、現役世代からは不満も出ている。保険料負担を引き上げる分、将来の受給額も増加するため、退職後の生活の安定につながるものではあるものの、そうした利点が十分に周知されていない面もあるのではないか。

今回の年金改革では「年収の壁」対策が進展

「在職老齢年金制度」の見直し以外に、パート社員の厚生年金への加入を拡大する。そのため、企業規模要件を緩和する。また、年収106万円以上の年収要件を廃止し、表面的には「103万円の壁」を撤廃することになる。ただし、週20時間以上の勤務という労働時間の壁は残る。

そこで、50人以下の企業などで働くパート社員が新たに厚生年金へ加入する場合、労使で折半される保険料について、企業の負担割合を高める形で、従業員の負担を減らすことを企業が選択できるようにする。ただし、従業員の保険料を肩代わりする余裕がない企業も少なくないとして、同制度が労働時間調整を回避するのに十分機能するかは明らかではない。

配偶者の扶養を外れて基礎年金の保険料負担が新たに生じる「130万円の壁」対策では、一時的な収入増加で130万円を超えた場合、事業主が証明することで被扶養者と認定できる現行の措置を恒久化する。また、19~22歳の学生などについて、被扶養者認定の収入要件を年収150万円未満に引き上げる。

このように、今回の年金改革では、「年収の壁」対策が進展することになる。

厚生年金の財源を基礎年金に流用する改革案に労使双方から批判

さらに、将来の基礎年金を底上げする改革も、今回の年金改革の大きな注目点となった。現状は、物価、賃金の上昇率に対して年金を減額調整する仕組み「マクロ経済スライド」が、基礎年金と厚生年金それぞれに導入されている。厚労省の試算によると、財政状況が相対的に良い厚生年金は2026年度にも減額措置を終えることができる一方、基礎年金は2057年度まで減額が続ける必要がある。

そこで、厚生年金に加入する会社員らの受給額を一時減らし、それによって生まれた財源を将来の基礎年金に回すことで双方ともに2036年度に同時に減額措置を終了できるような改革案が検討されてきた。

このような改革がなされた場合には、今後100年間に基礎年金に回す厚生年金財源65兆円のうち7兆円が自営業者ら国民年金加入者への給付に回る計算となる。大半は厚生年金加入者の基礎年金受給に回されるものの、会社勤務者らが自営業者らを支援する形となることに、労使双方から不満が生じている。また、基礎年金の底上げには厚生年金の財源のほかに追加の国庫負担も投入される。その規模は、将来には最大年2.6兆円にものぼる。

政治情勢も改革の障害に

厚労省の「財政検証」から平均的な賃金で40年間働いた単身会社員がもらう厚生年金の受給額への影響を試算すると、2026年度から2045年度までは今の制度より少なくなり、その減少幅は最大で月約7,000円に達する。

他方、2046年度からは、会社員がもらう基礎年金部分の増額分が厚生年金の減額分を上回るようになる。そして2060年度ごろには現在の制度より月約8,000円多くなる。しかし、制度変更によるメリット、デメリットは、現在の保険者の年齢と寿命によって変わってくる。

現時点では、厚生年金加入者の受給額が最大で月約7,000円減るという点に注目が集まっており、立憲民主党などはこの点を問題視している。衆院で与党が少数になっている現状のもとでは、政府・与党は、野党側に譲歩することが求められる。厚生年金の財源を基礎年金に流用するこの改革案が通常国会で紛糾すれば、予算の成立にも支障が生じることにもなる。そこで政府は、通常国会に提出する年金制度改革関連法案にこの案を盛り込みはするものの、2029年の次の財政検証の結果や経済情勢、国庫負担の財源確保策の検討状況などを踏まえて改めて判断することにした。事実上の先送りとなったのである。

現役世代と退職世代の利害の対立が、年金改革の障害になることは従来通りであるが、それに加えて今回の改革では、人手不足対策の必要性が年金改革をより難しくしている。さらに、衆院で与党が少数に陥っているという政治情勢も障害になっている点が、今回の5年に一度の年金改革の大きな特徴となっているだろう。
 
(参考資料)
「厚生年金は一時減額に 基礎年金底上げ案、国会の火種-年金改革の難路①」、2025年1月18日、日本経済新聞電子版
「年金制度改革 厚労省案の全容判明 基礎年金底上げの判断先送り」、2025年1月18日、朝日新聞速報ニュース
「基礎年金底上げ、判断先送り 年収の壁対策、国会提出へ 厚労省案」、2025年1月18日、朝日新聞
「厚生年金:基礎年金底上げ、先送り 厚労省、29年以降に判断」、2025年1月18日、毎日新聞

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。