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名目手取り賃金変動率+2.3%とマクロ経済スライド調整-0.4%

24日に2024年消費者物価統計が発表されたことを受けて、厚生労働省は2025年度の公的年金支給額を1.9%引き上げると発表した。名目支給額は3年連続で増加することになるが、年金額の伸びを抑える「マクロ経済スライド」も3年連続で発動されるため、物価を考慮した実質ベースでは目減りとなる。

公的年金支給額は、物価変動率や名目手取り賃金変動率に応じて、毎年度改定を行う仕組みとなっている。物価変動率が名目手取り賃金変動率を上回る場合には、支え手である現役世代の負担能力に応じた給付とする観点から、名目手取り賃金変動率を用いて改定される。

名目手取り賃金変動率とは、2年度前から4年度前までの3年度の平均実質賃金変動率に前年の物価変動率と3年度前の可処分所得割合変化率を乗じたものだ。今回の計算ではそれは+2.3%となるが、これは昨年の消費者物価上昇率+2.7%を下回った。

この名目手取り賃金変動率に、マクロ経済スライドの調整が加えられる。マクロ経済スライドとは、公的年金被保険者の変動と平均余命の伸びに基づいてスライド調整率を設定して、その分を賃金と物価の変動がプラスとなる場合に改定率から控除する仕組みだ。これは、公的年金支給額を減少させる一方、将来世代の年金の給付水準を確保することに寄与する。

2025年にはマクロ経済スライドによる調整は-0.4%となる。これと名目手取り賃金変動率の+2.3%を合計して、2025年度の年金支給額は前年度比+1.9%となったのである。

退職世代も現役世代も2025年度の実質所得見通しは厳しい

単年度で計算しても、2025年度の公的年金支給額は物価上昇分を除く実質で目減りする可能性が高い。政府の経済見通しでは、2025年度の消費者物価は+2.0%と2024年度の+2.5%から低下する。その場合には、2025年度の実質公的年金支給額は前年度比-0.1%とわずかにマイナスとなる。ただし、実際の2025年度の物価上昇率は2%台後半となることが予想される。そのため、2025年度の年金生活者の実質所得は顕著に減少する可能性が高い。

他方、現役世代についても、2025年度の実質所得増加率が大きく増加し、所得環境が目立って改善することは考えにくい。昨年の春闘での賃上げ妥結の反映が概ね一巡した現時点での所定内賃金の上昇率は3%弱であり、これは消費者物価上昇率の水準と概ね一致する。実質賃金上昇率はゼロ近傍である。

他方、今年の春闘での大企業の賃上げ率について、連合の要求は5%以上と昨年と同様だ。民間見通しの平均は+4.7%と、昨年の実績の+5.1%を下回る。連合が目指す中小企業の賃上げ率向上がある程度実現できたとしても、全体の平均賃上げ率は昨年並みとなることが予想される。この賃上げ率には定期昇給分が含まれており、それを除く平均賃金上昇率、その基調部分である所定内賃金上昇率は、2025年度に3%弱になると予想される。他方で、2025年度の消費者物価上昇率が2%台後半であれば、2025年度の実質賃金上昇率はゼロ近傍となる。

2021年以降、輸入物価が大幅に上昇する一方、賃金上昇率は物価上昇率に大きく後れをとり、実質賃金は大幅に低下してきた。そのため、2025年度の実質賃金上昇率がゼロ近傍にとどまり、過去数年に大幅に低下した実質賃金を取り戻すことが展望できないのであれば、個人消費の本格回復は見えてこないだろう。2025年度は、退職世代も現役世代も、ともに実質所得の見通しは厳しいのである。

さらなる賃上げ加速よりも物価上昇率の低下を目指すべき

石破首相は24日の施政方針演説で、物価上昇率を上回る賃上げを目指す姿勢を改めて明らかにした。産業界からも賃上げの必要性を訴える声が多く聞かれる。しかし、今年の春闘で連合の大企業賃上げ要求が前年と同水準であることを踏まえると、この先、賃上げ率をさらに加速させていくことは容易ではないように思われる。

賃金上昇率をさらに高めるのではなく、物価上昇率の低下を促す方が、実質賃金上昇率を高め、大幅に低下した実質賃金を取り戻す近道ではないか。消費者物価上昇率が日本銀行の物価目標である2%を超える状態が続いているのは、円安による輸入物価上昇によるところが大きく、持続的ではないと考えられる。円安による物価上昇は海外への所得移転を生じさせ、日本経済には逆風となるコストプッシュ型と言える。この点から、2%の物価目標達成を無理に目指すことは、日本経済の安定を損ねてしまう面があるのではないか。

政府、日本銀行は、悪い物価上昇をもたらし、実質賃金上昇を妨げている円安を修正する方向で政策協調を行うべきだろう。
 
(参考資料)
厚生労働省「令和7年度の年金額改定についてお知らせします ~年金額は前年度から1.9%の引上げです~」、2025年1月24日

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。