協議は膠着が続いた
政府と自民、公明の与党は、税制改正関連法案を14日から順次、衆院で審議入りさせる方針だ。最大の焦点となるのは、国民民主党が掲げる「103万円の壁」解消に向けた所得税の課税最低限の引き上げ策だ。
公明党の西田幹事長は、「来週の半ばぐらいを目指して何とか合意を作っていきたい」と語っている。「103万円の壁」問題を巡る与党と国民民主党の間での協議は、昨年末からほぼ膠着状態にあるが、いよいよ合意が得られるか、あるいは決裂するか、クライマックスを迎えている。
国民民主党は、1995年以降の最低賃金の上昇分を反映させて、所得税の課税最低限を、現行の103万円から178万円へと引き上げることを昨年の衆院選の公約に掲げており、現在でもその主張を続けている。
他方、所得税の課税最低限を178万円まで引き上げ、住民税の課税最低限も同じ幅で引き上げると、7兆円から8兆円の税収減となってしまう。税収基盤に甚大な悪影響を与えてしまうため、与党は、国民民主党案をそのまま受け入れることには否定的だ。
しかし、昨年12月に与党は、補正予算の可決で国民民主党の協力を得るため、178万円を目指して来年(2025年)から引き上げることで国民民主党と合意した。この合意は、目先の補正予算の可決を可能にするために、国民民主党に譲歩し過ぎたのではないか。
他方、昨年末の与党の税制改正大綱では、国民生活に大きな影響を与える生活必需品を中心とする1995年以降の物価上昇率をベースに、所得税の課税最低限を123万円まで引き上げる考えを示した。これは、3党合意と相いれないようにも見えるが、国民民主党はこの案に強く反発し、その後協議は前に進んでいない。
公明党の西田幹事長は、「来週の半ばぐらいを目指して何とか合意を作っていきたい」と語っている。「103万円の壁」問題を巡る与党と国民民主党の間での協議は、昨年末からほぼ膠着状態にあるが、いよいよ合意が得られるか、あるいは決裂するか、クライマックスを迎えている。
国民民主党は、1995年以降の最低賃金の上昇分を反映させて、所得税の課税最低限を、現行の103万円から178万円へと引き上げることを昨年の衆院選の公約に掲げており、現在でもその主張を続けている。
他方、所得税の課税最低限を178万円まで引き上げ、住民税の課税最低限も同じ幅で引き上げると、7兆円から8兆円の税収減となってしまう。税収基盤に甚大な悪影響を与えてしまうため、与党は、国民民主党案をそのまま受け入れることには否定的だ。
しかし、昨年12月に与党は、補正予算の可決で国民民主党の協力を得るため、178万円を目指して来年(2025年)から引き上げることで国民民主党と合意した。この合意は、目先の補正予算の可決を可能にするために、国民民主党に譲歩し過ぎたのではないか。
他方、昨年末の与党の税制改正大綱では、国民生活に大きな影響を与える生活必需品を中心とする1995年以降の物価上昇率をベースに、所得税の課税最低限を123万円まで引き上げる考えを示した。これは、3党合意と相いれないようにも見えるが、国民民主党はこの案に強く反発し、その後協議は前に進んでいない。
与党は123万円への引き上げを示す
1995年以降、所得税の課税最低限は引き上げられていない。国民民主党は、課税を回避するために年収103万円以内となるように労働時間を調整して働いている人は、その間、物価上昇分だけ実質所得が目減りしているため、それを課税最低限の引き上げで補う必要がある、と主張する。この主張は妥当であるが、そうであるならば、1995年から2024年までの消費者物価全体の上昇率である13%分だけ課税最低限の引き上げ、117万円とするのが適当なのではないか。
ただし与党は、国民民主党案に多少なりとも近づけることを意識し、消費者物価全体ではなく生活必需品を中心とする品目の価格上昇率分に多少上乗せして、123万円という数字を示したのである。ここまでの引き上げであるならば、物価上昇による実質所得の目減り分を補うものであり、新たな財源を確保しないと説明している。課税最低限の123万円への引き上げによる税収分は7,000億円程度と試算した。そして、国民民主党が123万円を超える課税最低限の引き上げを求めるのであれば、その財源を示せと与党は迫ったのである。
国民民主党からは明確な財源案が示されないまま現在に至っているが、ここにきて、国民民主党内では、東京23区の単身者への生活保護支給額を基準とする156万円案も浮上してきている。国民民主党からもようやく譲歩の動きが出始めたように見える。
ただし与党は、国民民主党案に多少なりとも近づけることを意識し、消費者物価全体ではなく生活必需品を中心とする品目の価格上昇率分に多少上乗せして、123万円という数字を示したのである。ここまでの引き上げであるならば、物価上昇による実質所得の目減り分を補うものであり、新たな財源を確保しないと説明している。課税最低限の123万円への引き上げによる税収分は7,000億円程度と試算した。そして、国民民主党が123万円を超える課税最低限の引き上げを求めるのであれば、その財源を示せと与党は迫ったのである。
国民民主党からは明確な財源案が示されないまま現在に至っているが、ここにきて、国民民主党内では、東京23区の単身者への生活保護支給額を基準とする156万円案も浮上してきている。国民民主党からもようやく譲歩の動きが出始めたように見える。
「103万円の壁」解消が必要な理由を改めて整理
いよいよクライマックスを迎える「103万円の壁」を巡る与党と国民民主党の協議では、そもそも「103万円の壁」の撤廃がなぜ必要であるかを改めて整理する必要があるのではないか。それは主に3点だ。
第1は、課税対象となる年収103万円を超えないように労働調整が行われることで、人手不足がより深刻になっていることへの対応だ。第2は、低所得者層が、年収103万円を超えて所得を増やすことが妨げられていることへの対応だ。第3は、足もとの物価高の分だけ、課税最低限の実質的な水準が切り下がり、実質増税となっていることへの対応だ。
つまりは人手不足の緩和と低所得層の生活支援こそが、「103万円の壁」解消の大きな目的である。
他方、「103万円の壁」の議論がなされるなかでは、課税最低限や税率区分が物価に連動して修正されないことから、物価上昇率が高まると、事実上の増税となるという制度上の課題も浮き彫りとなった。それへの対応としては、他国では広くみられる、物価連動の制度を導入することが考えられる。
また、課税最低限と生活保護支給額を一致させるのが妥当かどうかという議論も出始めている。こうした問題は、所得税の制度設計に関わるものだ。
第1は、課税対象となる年収103万円を超えないように労働調整が行われることで、人手不足がより深刻になっていることへの対応だ。第2は、低所得者層が、年収103万円を超えて所得を増やすことが妨げられていることへの対応だ。第3は、足もとの物価高の分だけ、課税最低限の実質的な水準が切り下がり、実質増税となっていることへの対応だ。
つまりは人手不足の緩和と低所得層の生活支援こそが、「103万円の壁」解消の大きな目的である。
他方、「103万円の壁」の議論がなされるなかでは、課税最低限や税率区分が物価に連動して修正されないことから、物価上昇率が高まると、事実上の増税となるという制度上の課題も浮き彫りとなった。それへの対応としては、他国では広くみられる、物価連動の制度を導入することが考えられる。
また、課税最低限と生活保護支給額を一致させるのが妥当かどうかという議論も出始めている。こうした問題は、所得税の制度設計に関わるものだ。
「103万円の壁」解消を通じた人手不足の緩和と低所得層の生活支援が喫緊の課題
とりあえず、喫緊の課題としては、人手不足の緩和と低所得層の生活支援の観点から、「103万円の壁」解消を進めることが重要だ。この観点からは、大幅な税収減を生じさせる、国民民主党案の178万円、あるいは生活保護支給額に基づく156万円までの課税最低限の大幅引き上げは必要ないだろう。117万円、123万円などへの引き上げを決めた上で、所得税の制度設計の見直しについては、時間をかけて議論していけばよいのではないか。
与党と国民民主党が、「103万円の壁」問題で合意できるかどうかは明らかではない。合意が難しいとなれば、与党は高校授業料無償化で日本維新の会と合意し、維新の会の協力のもとで年度内に予算を成立させることを目指すだろう。現状は、2つの野党を天秤にかけている状況だ。
しかし、高校授業料無償化についても、与党と日本維新の会の間には意見の隔たりがあり、合意に近づくことができるかどうかは不透明だ(コラム「自公が高校授業料無償化案を日本維新の会に提示:政治的駆け引きではない実のある議論を」、2025年2月6日)。
与党と国民民主党が、「103万円の壁」問題で合意できるかどうかは明らかではない。合意が難しいとなれば、与党は高校授業料無償化で日本維新の会と合意し、維新の会の協力のもとで年度内に予算を成立させることを目指すだろう。現状は、2つの野党を天秤にかけている状況だ。
しかし、高校授業料無償化についても、与党と日本維新の会の間には意見の隔たりがあり、合意に近づくことができるかどうかは不透明だ(コラム「自公が高校授業料無償化案を日本維新の会に提示:政治的駆け引きではない実のある議論を」、2025年2月6日)。
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。