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米国貿易赤字は他国から不当に押し付けられた負担の象徴

トランプ政権の関税策は、金融市場と米国の企業・国民から想定していたよりも悪い反応を引き起こしている。関税策には行き詰まり感が出てきており、トランプ政権は今秋までにも関税策を縮小方向で大きく見直す可能性があると予想する。
 
しかしこの関税策は、1944年のブレトン・ウッズ体制に始まる戦後の世界秩序を抜本的に変革することを目指すトランプ政権の大きな構想、あるいは野望の一部に過ぎない。関税策が行き詰まれば、トランプ政権は次の政策に重点を移していく可能性がある。それがドル安政策だ。
 
ベッセント財務長官は「ブレトン・ウッズ体制の再編」を掲げ、①関税策を通じた消費大国から製造大国への米国経済の転換、②ドル高是正と基軸通貨の地位維持の両立、③同盟国との安全保障の応分負担、を主張する。
 
こうした考え方の底流にあるのは、戦後の米国は、他国から不当に過大な負担を押し付けられてきた、という認識だ。こうした考えは、トランプ大統領が貿易を巡って他国を強く批判する際には、常に込められている。
 
トランプ大統領にとって、他国から不当に押し付けられた負担の象徴が、巨額の米国貿易赤字であり、それゆえ、米国貿易赤字の解消に強い執念を持っている。

トリフィンの流動性ジレンマ

ブレトン・ウッズ体制は、1920年末の世界恐慌が保護主義の蔓延を招き、第2次世界大戦の遠因となったことへの強い反省のもとに形作られたものだ。自由貿易の推進と安定した国際通貨制度と国際決済制度が目指された。
 
当初作られたドルを基軸通貨とした金本位制は、1971年のニクソン・ショック(ドルと兌換停止)で崩れたが、その後もドルは事実上の基軸通貨の地位を維持している。
 
ドルが事実上の基軸通貨であることによって、米国は過大な負担を押し付けられてきたとするのが、トランプ大統領のブレーンであるスティーブン・ミランStephen Miran)大統領経済諮問委員会(CEA)委員長であり、その考えはトランプ大統領やベッセント財務長官にも共有されている。
 
世界秩序の変革を目指すミラン氏の考えは、昨年11月に発表した論文”A User’s Guide to Restructuring the Global TRAding system”で発表されている。その中でミラン氏は、「トリフィンの流動性ジレンマ」に言及している。
 
「トリフィンの流動性ジレンマ」とは、基軸通貨の世界への流動性供給機能と基軸通貨の信認維持が両立しないことを述べたものだ。事実上の基軸通貨であるドルを例にとれば、多くの貿易がドル建てで契約されることになるため、ドルへの需要が高まる。それがドルの価値を過剰に高め過大なドル高になると、米国の国際競争力が低下して、貿易赤字、経常赤字が拡大する。経常赤字の拡大は、米国の対外債務の増加を意味するが、それこそが海外で必要とされる事実上の基軸通貨の供給に他ならない。ただし、貿易赤字、経常赤字が拡大を続けると、供給過多となったドルへの信認が低下していく。
 
このように、基軸通貨は本来矛盾を内包した存在であり、永続できない、というのが「トリフィンの流動性ジレンマ」の考え方だ。しかし実際には、事実上のドル基軸通貨制度は戦後続いており、「トリフィンの流動性ジレンマ」を、「基軸通貨は崩壊する運命にある」と受け止めるのは正しくないだろう。

米国が事実上の基軸通貨から得ている特権はデメリットよりも大きい

ただし、ミラン氏は、「トリフィンの流動性ジレンマ」に基づいて、ドルが事実上の基軸通貨であることで、米国は巨額の貿易赤字という過大な負担を負わされ、経済的な不利益を被っていると考える。
 
実際には、米国は事実上の基軸通貨国であるから大きなメリット、特権を得ており、ミラン氏のように、そのデメリットのみを強調するのは正しくないだろう。特権とは第1に、米国の貿易のほとんどは事実上の基軸通貨であるドル建てで行われることから、企業が貿易で為替変動リスクを負うことはない。輸入代金の支払いのために外貨を調達し、あるいは輸出代金の受け取りで外貨を保有し、為替リスクを負うこともない。第2に、輸入の支払いは自国通貨で行うため、支払いが滞ることはない。つまり、国際的な流動性危機、デフォルトは米国では極めて起きにくい。
 
他方、国際的な流動性危機に直面する国に自国通貨を供給し、危機から救うことも基軸通貨国の役割と考えられるが、実際にはその役割は米国ではなく国際通貨基金(IMF)が担っている。
 
実際には米国は事実上の基軸通貨国としての負担よりもメリットをより多く享受しているように見えるが、ミラン氏、トランプ政権はそのように考えていない。

関税策に次ぐ国際秩序変革の第2弾がドル安政策:「マールアラーゴ合意」

ミラン氏の考える米国が不当に負担を負わされている戦後の国際秩序の変革の第1弾が、関税策だ。それは、行き過ぎたドル高によって低下させられた米国の国際競争力の回復を図るものだ。そしてそれに次ぐ第2弾がドル安政策だ。ミラン氏は、関税策を打ち出せば、米国の貿易赤字が縮小することなどから為替市場でドル高が生じ、それが関税による米国の国際競争力の回復を妨げる面があるが、それを打ち消す狙いもあって、ドル安政策をとるのである。
 
ミラン氏にとって関税策とドル安政策は、共に米国の国際競争力を回復し、米国の貿易赤字を解消させる対の政策だ。トランプ大統領やベッセント財務長官も同様に考えているだろう。
 
ミラン氏は、2国間通貨合意と多国間通貨合意を通じてドル安政策を進めることを提案している。多国間合意のモデルとしているのが1985年のプラザ合意であり、ミラン氏は、21世紀のプラザ合意となるのが、トランプ政権が構想する新たな多国間通貨「マールアラーゴ合意」としている。

トランプ政権は与しやすい日本に円安修正とドル安政策への協力を求めるか

関税策が行き詰まれば、トランプ政権は「第2の矢」であるドル安政策を本格的に稼働し始める可能性がある。現在、日米関税協議は為替協議とは別に進められているが、いずれ両者は結びつけられ、日本に対して円安修正、あるいはドル安政策への協力を求めてくる可能性がある。
 
他国はプラザ合意の時のように、協調のドル売り介入でドル安調整に協力する可能性は現時点では低い。しかし日本は、安全保障政策で米国への依存度が高いという弱みを持つことから、トランプ政権にとってはドル安政策への協力を押し付けやすい国である。日米間でドル安円高政策での2国間通貨合意が得られれば、それを他国へも広げていき、多国間通貨合意へと発展させる狙いもあるのではないか。

安全保障で同盟国に応分の負担を求める

国際秩序の変革を目指すトランプ政権がとる第3弾の施策が、同盟国との安全保障の応分負担を求めることだろう。ミラン氏は、同盟国に対する安全保障政策を維持することと交換で米国の国債を保有させ、ドル安政策がとられる中でもドルの需要と信認を維持する仕組みを提案している。ただし、トランプ大統領がこのアイデアを受け入れるかどうかは不明だ。
 
日本政府は、日本が米国国債の最大の保有国であることを強調し、日本が米国の財政赤字、貿易赤字をファイナンスし、ドルの信認維持に貢献していることをトランプ政権に主張している可能性はある。しかしトランプ政権は、米国が日本に対して、安全性と流動性が世界で一番高く高金利の魅力が高い運用対象を提供している、としか理解していない可能性もあるのではないか。
 
第1弾の関税政策が行き詰まっても、トランプ政権には第2弾のドル安政策、第3弾の安全保障政策の見直しがそれに続く手として残っていることを、日本は十分に理解しておく必要があるだろう。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。